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エイブラハムの教え セミナー動画の内容と感想などまとめています

繰り返すネガティブ思考に対処するには?エイブラハムのワークを我慢リストにしない

ネガティブ感情に気づいたら思考転換、できるだけ早くその芽を摘むこと。では共同創造の仲間に対してしつこく残るネガティブも、アライメントで解消するしかないのか。

エイブラハムの教えを頭で分かっていても、感情の暴走を止められない時がある。そんな時はフォーカスの輪、肯定的側面リストなどのワークをする気になれない。

忍耐力はピークに達し、17秒ルールが頭をもたげても、激情のモメンタムは膨らんでいくばかり。せっかくアライメントを頑張ってきたのに、ここで台無しになってしまうのか。

内側からくる罪悪感と、外側の苦しさとの板挟みで、もはや制御不能…。ヘルプ・ミー!

悪感情に見舞われる時、内なる存在はどこにいるのだろう。吉田利子さんの名訳に「鳴りを潜めている」がある。それでも自己解決しろなんて、冷たすぎないか?

いや、見捨てられてはいなかった。

しばらくして落ち着いてきた頃、セスの”ある教えが頭をよぎり、本のページを開かせた。

そして、ものすごく救われた!

苛立ちや怒りは抑えこまなくていい

エイブラハムとセスは別ものと捉えている人も多いらしい。けれども両者は同一存在、セスは今もエイブラハム教師連合の一員として活動していると言う。

安易な楽観主義やポジティブ・シンキングに異を唱えるセスは、ネガティブ思考にかなり寛容だ。

例えばネガティブ感情にも良い側面があるので、抑圧せず、自然に任せなさいと教示している。

セスの教え

自然な攻撃性・セス

一般的に、怒りはネガティブで良くないものと考えられている。

ところがセスは、ネガティブ感情にもそれ相応の役割があり、自然な攻撃性と言って、元来私達に備わっている性質なので、進化に欠かせないと言う。

★自然な攻撃性について:生命の誕生自体が攻撃的な行為=攻撃性
=自らの偉大な原動力によって、体内から新たな外部環境へと勢い良く飛び出すために必要な性質


あなた方は花をやさしさや美しさ、「良いもの」という観点から見ます。

けれども新しい蕾を開かせるのはいつでも消極的とは言えない、喜びに満ちた攻撃的(アグレッシブ)な勢いと、積極的に外へ出ていこうとする大胆さと勇気です。

攻撃性がなければあなたの身体は成長できません。

壮大な創造性がほとばしる時、その根底に攻撃性があるのです。

セス・ブック『個人的現実の本質』


★苛立ち、怒りは建設的な他人への伝達方法。
理由=それによってその人の反応を誘いだし、新しい局面へとつながる大切なプロセスであるため。


例えば、しかめっ面するのは、「あなたは私を怒らせた」「私は腹を立てている」を伝える自然なコミュニケーション手段だと言う。

つまりネガティブ感情に含まれる良い側面(自然な攻撃性)を無視して、思いを抑圧していると、エネルギーが堰き止められて行き場を失うらしい。

感情は解放を求めているのに、「優しく親切であれ」という風に、ポジティブになる努力をしながら生きていると、自然な攻撃性まで否定しようとする。

蓄積したエネルギーははけ口を求め、身体が限界に達した時、暴力的、突発的行為へと至ると、セスは警告。

エネルギーの詰まりに要注意

セスによると、相手に思いを伝えるなどの改善を求める行為は、私達に備わった自然な性質。

それなのに押し殺したり、体裁よくごましているとエネルギーの詰まりを生じさせ、いずれ激しいぶつかり合いとして表面化するとのこと。

この状態は本来あるべき自然な姿ではなく、間違った攻撃性だと言う。

指を切って血が出る。そうやって血は、入り込んでしまったかもしれない毒を取り去るのです。

出血には役目があり、身体はいつそれを止めるべきか知っています。血が止まらないのはあなた方の観点では悪いこと、困ったことです。

しかし血はその活動の成り行きに従っているだけで、身体はそれを悪いとは考えません。中断させようなどとはしません。

代わりに、それが自然に止まるための必要なあらゆる調整をするでしょう。

セス・ブック『個人的現実の本質』

この比喩に従えば、あなたは攻撃的な思考を悪いものと思っているので、身体が自らを浄化しようとすることを許しません。

そうして「毒」を内部に閉じ込めるのです。


★セス「本来、自然な攻撃性は予防策になるのです」


例えば上司を殺したいほど憎いと思ったり、旦那のお茶に一服盛ってやりたいと考える時(セスもなかなか表現が豊か・笑)、そこまで不健全な感情に襲われる理由は、以前から溜め込んできた思いを押し殺してきたせいだと指摘。

日々の中で自然な表現で解消できたはずの些細なことが、長期間無視されたり、否定されて抑圧され続けるとエネルギーが詰まる。

一定の条件下でのネガティブ感情は、相手の非や逸脱を伝える良い方法で、突発的な衝突や暴力を予防するというエネルギーの解放手段と言う。

セスが教えるネガティブ感情の正しい使い方

正常で自然な攻撃性は強いエネルギー・パターンを持っていて、思考に原動力を与える。

苛立ち、怒りなどの攻撃的な感情を表に出すことは、相手とのコミュニケーションに役立つばかりか、自身のバランスを整える。

加えて、暴言や暴力などの突発的な行為への予防策にもなり、それこそがネガティブ感情の正しい使い方だと言う。

また、自然な攻撃性も創造のエネルギー源なので、生物としてのこの性質を正しく認識しない限り、真の霊性の理解には到底及ばず、進化しないとセスは言う。

ネガティブ思考を自分の中に封じ込めるのは健全でないので、適度に相手に伝えることで改善させる方向へ持っていきなさいと教えている。

エネルギーは堰き止めず、自然に流す方がいいらしい。

上司を殺したいほど憎いとまで考えるようになる前に、気になることは思い切って提言してみたり、旦那に毒を盛ってやりたいと考える前に、日常的に本音をぶつけてケンカでもする方がよっぽどいいということなのか。

思いを素直に認め、積極的に働きかけることで、人とのコミュニケーションが円滑になる。ある日突然、感情的に爆発するなどして、相手の気持ちを傷つけるよりずっと建設的だとセスは言う。

★自然な攻撃性=浄化作用&天然療法


セスはどんな問題でも、自然かつ素直に向き合えば、そこに答えが内包されていること気づく。精神的・肉体的のどんな問題であっても、その背後にある葛藤を解消する糸口が現れ、次から次へと解決策も見つかると言う。

そしてネガティブ感情は押し殺さず、すべて感じきる。そのことを素直に認めると、その後自然な解放へと向かうと教えている。

とは言っても悪感情にまみれた時は、相当な罪悪感を感じる。大丈夫なのか。

心配無用!

どんな最悪な思考であっても、それらは自分に属するものであるけれど、自分の本質ではないので脅かされることはないので大丈夫だとセス。

★思考や感情=自分から生じたもの=ただし自分自身ではない
★感情と自分自身を同化させない


より大きな視点から言えば、ネガティブかポジティブか問うことには意味はほとんどありません。
物理的な経験はすべてが学びなのですから。

セス・ブック『個人的現実の本質』


外側で起きていることに良いも悪いもないのに、ただ私達が出来事に対して一定の基準を当てはめようとしたり、価値判断して感情を当てはめているだけらしい。

エイブラハムのワークを我慢リストにしない

だからネガティブ感情が起こったらまず、それに気づいて認める。無理に消し去ろうとしなくていい。

小さなうちはアライメントですぐ思考転換できるので、それはそれで良いと思う。(=エイブラハム圏内)

「今自分は、望みと正反対の方を向いている、本当に求めているのは何だろう」などと、思考の向きを変える。

それでも解消されずに繰り返し襲ってくる悪感情があるなら、思い切って相手に態度で示したり、打ち明けてみる。(節度と敬意を持って)

すると案外、単なる誤解だったことが分かったり、できないと思い込んでいたことが、すんなり解決することもあるかもしれない。話し合うことで和解する可能性もある。

自分の感情をよそ者のように感じたり、よそ行きの衣装をまとっただけと認めたりすることもなくなります。
感情は「自己」という家族の一員として充分に認められると、アピールのために大声を出す必要がなくなるのです。
セス・ブック『個人的現実の本質』


エイブラハムが伝えているワークはすべて、抵抗を軽減するためにあるらしい。比較的新しいものや、小さなうちはアライメントで非活性化できる。

それが効かない最強レベルのものは、セスのやり方でやってみようと思う。

荒療治になってしまったのは、知らず知らずのうちに溜め込んでいたためだったと分かった。

その都度アライメントしていたはずなのに、エイブラハムの肯定的側面リストが、いつしか忍従&我慢リストになっていたようだ。

結果的にはちょっとした誤解だったことがわかり、一件落着。スッキリしただけでなく、一筋の希望も見えてくるというオマケ付きだった。

これをきっかけに、セスの深遠な教えを身をもって再認識し、感謝の思いに溢れた。エイブラハムだけでなく、セス・ブック『個人的本質』には何度助けられたことか。

雨降って地固まる。

もう再発することはないと思う。ネガティブは小さなうちにエネルギーを解放させるに限る。

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