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エイブラハムの教え セミナー動画の内容と感想などまとめています

エイブラハムの教え「看取りの真実」死は準備できるのか すべては完璧に予定通りに

人生100年時代といわれる今、老後の長さを考えると、いかに生涯を心身とも健やかで、心安らかに過ごせるかが重要なテーマになってくると思う。

一人で生きているのではないので、自分のことばかり考えてもいられない。

年をとればとるほど、親もそれなりに長生きしているので、いずれ来るべき時がやってくる。

つくづく実感するのが、スピリチュアルやエイブラハムを学んできて、本当に良かったということ。もし何も知らずに以前のようなネガティブ人間のままだったら、かなり悲惨だったと思う。

エイブラハムを動画で学びはじめて4年、人生の様々な側面だけでなく、生と死、病気や老いについての示唆にあふれる教えは、日常生活に大いに役立っている。

先日、新たな洞察が得られる動画にめぐり合った。

①人は自分の死期が近づいたことが分かるのか

②無意識、例えば自分が分かっていないように見える人の死期が、家族としての自分にどうかかわっているか

人生の大きな課題である介護問題の当事者として、ハッとする教えがこの動画に含まれていたので、内容を翻訳、考察した。

このエイブラハムの教えは、先が見えないことから困難さが付きまといがちな課題に、一筋の光を与えてくれる。

https://youtu.be/NboQ_4w2rXY?si=5w5v8qGD4y0LpF9z

出典元:エイブラハム・ヒックスパブリケーションズAbraham-Hicks Publications - Law of Attraction Official Site

人生の旅立ちはなぜ準備できないのか

エイブラハムの教え 看取り 超意識 介護

女性:結婚や出産など、人生のビッグイベントは準備できるのに、なぜ死にはそれができないのでしょうか。

エイブラハム:皆、死が終わりだと思っていたり、得体の知れないものだという風に勘違いしているからだ。終わりなく続いていくものなのに。

ほとんどの人は、自らの肉体の死を準備しない。

女性:皆、死にたくないですから。

全ての人がそうというわけでないが、自分で耐えられないほど身体がボロボロになるまで、そうさせないのだ。(死ねない)

だからこんなにも、たくさんの病気が存在する。人生がもう面白くなくなったという言い訳にするためにね。

もちろん、皆が皆そうだというわけでないよ。

準備できる人もいる

人生に満足し、幸福で、内なる存在と同調してきた人は、新しい地位(仕事)や展望、そして拡大の一部となる新たな機会へと、内なる存在に呼び寄せられるのを感じるだろう。

感情のスケール22段階で言えば、上半分パートにいる人達だ。(高波動を保つ人のこと)

けれども、たいていの人は下半分パートから移行する。ちなみに動物たちは上半分パートから逝く。

動物は自分のことを、たった一つだけの才能しかない *One-trick pony などと思っていないからね。

超意識

あなた達はよく、「ここでは忙しくしてたから、天国に行ったら休む」などと表現するが、それは違う。

「安らか」とか「休む」ではなく、「楽しい、喜ばしい」といった方がいい。

昔、ジェリーが誰かのトラックの荷台に乗っていた時、険しい山道で車ごと転落して一時、意識を失い、一命を取り留めたことがある。

彼は「この経験があるから、僕はもう死ぬのが怖くないんです」と話した。

「そんなんじゃないよ。意識がない状態が死などと思ったら大間違いだ」と教えてあげた。

無意識ではなく、超意識なのだ!*super conscious

無になるのではなく、あなたがすべてになるのだ。

全く抵抗がなく、愛と情熱に満ちあふれ、前向きでワクワクの状態になり、この最先端で永遠性の一部となるのだよ。

看取りの真実・移行過程にいる人がやろうとしている事

スピリチュアル 看取り

女性:「いかに安らかな死を迎えるか」をテーマに、認知症や末期の患者の高齢者のリサーチに取り組んで3年になります。ホスピスで働く人にも聞き取りしたいと思っています。若い人や自殺者は除外で。

エイブラハム:なぜ自殺者を除外するんだい?すべての死は自死なのに。

女性:自殺する人に事前調査はできないので。

エイブラハム:死の経験は、非物質世界の導きによるものが大きい。寸分の間違いもなく、正しく行われる。

大事なことを言うよ。

★旅立とうとしている人より、周りにいる人たちの方が、大きく関係しているのだ。

this is the most important part for you it has far more to do with those standing around while they're making their departure than it does with the one making their departure

エスターの友人の心理学者で精神科医として著名な人が、自分に手に負えない案件を我々に相談してきたことがある。

実際、それは随分と長い間、死の瀬戸際にとどまっていた彼女の父親のことだった。命が尽きそうで尽きることなく、具合が良くなくて、意識がない状態が続いていた。

入院費用も莫大になって、家族は悲鳴をあげていた。それで彼女は「一体、何が問題なのでしょうか」と我々に尋ねたのだった。

「何も間違っていないよ。すべては完璧に、スケジュール通りで完璧だ」と伝えた。

その時、彼は移行した。(息を引き取った)

それは彼女が、自分にはもっと言うべきこと、やるべきこと、釈明しなければならないことがあるのではないかなど、緊張や重圧感を解放したからだった。

それが最も抵抗の少ない道だったのだ。

★死への移行過程にある人は、皆が部屋を出るのを待っている。そしてその後去って行く。

it is that someone will be in that process of making their transition and they wait until everyone has left the room and then off they go

これはよくあることだと、彼女に教えてあげた。

そのような状態にいる人のことを皆、意識がないと思い込んでいるが、そうではない。彼らは超意識の中にいる。タイミングの問題なのだ。

もし我々が本を書くとしたら、「すべての死は、それぞれに完璧である」というような内容にするだろう。

すべての人が、あらかじめ決められているわけでもなく、何かの約束を守っているわけでもなく、すべてを織り込みながら、「今」に調和している。

every person is syncing up in the now not predetermined not predecided not keeping some promise to anything in the now factoring everything in

何の例外もなく、すべてが完璧に正しく行われているのだ。

リサーチするなら、ホスピスで働いたことのある10~20人の人達に聞き取りを行うといいだろう。彼らは今日伝えたことを、経験上良く知っているよ。

最後に

エイブラハムによると、源ソースに同調しながら生きていると、内なる存在にその時期がきたことをガイドしてもらいつつ、準備ができるとのことだった。

教え通りにアライメントしていれば、老いても病気や認知症になることなく、自然にそして喜び勇んで、肉体という器を抜け出すことができそうな気がする。

自分のことならある程度、コントロールが効く。ところが、自分をとりまく家族の問題となれば、勝手がまるで違うと思っていた。その意味で、そうでもないということを学ぶ時がきたようだ。

深遠なエイブラハムの教えを、介護生活にどう活かすべきか考えてみた。

忘れるのはいいこと

認知症の家族をケアしていると、「このまま症状が更に進んだら、どうなるのだろう」などの不安を感じることが多い。

けれども、「だんだん忘れていくこと」は、本人にとってそう悪いことではないということを、エイブラハムから学んだ。

それは否定的思考がもたらした抵抗を少しずつ解放し、純粋エネルギーに移行するために不可欠なステップの一つだという。

今回も述べられていたのが、彼らが何も分かってないと思うのは見当違いだということ。

彼らの意識は純粋意識(超意識)の中にあり、深いレベルでは気づいているということらしい。

密やかにそして粛々と、源ソースと通じ合いながら、準備は整えられていると、エイブラハムは伝えている。

それでは、なぜ長くとどまっているのかという疑問がわく。

そこへ今回の教えが、見事にはまった。

旅立とうとしている人より、周りにいる人たちの方が大きく関係している(波動的に)

死への移行過程にある人は、皆が部屋を出るのを待っていること、そしてその後去って行く

遠まわしな表現なものの、これは特に昏睡状態や認知症の家族をケアしている当事者にとって、特筆すべき教えだと思う。

動画では高齢で意識がなく、同じ状態に居続ける人とのような表現しかされていなかったが、アルツハイマーや認知症の教え(書きかけ記事)でも、同じような内容を学んだ。

今回の看取りの事例でインパクトがあったのは、本人よりも、周りにいる家族の影響が大きいとエイブラハムが語った点だった。

つまり、ケアする側の家族の波動次第ということらしい。その人をどのように見ているかなど。その思考は源ソースと同じ視点かどうか、いま一度、アライメントし直さなければいけない。

例えば、「何で私がこんな目に合わないといけないの」、「いつまで続くのか」といった悪感情を持っていたり、執着していたり、重圧を感じていると、その否定的感情が外側の世界にそのまま投影されるのかもしれない。

エスターの知人の事例では、「一体何がいけないのか」という思いが、引き寄せの法則によって同じ状態を延々と引き寄せていたようだった。

エイブラハムが語った「皆が部屋を出てから、その後、去る」とは、介護する人側に、何らかの強い抵抗がある間は、当人は去るに去れないということだと推測できる。

「そんなこと言っても、実際これだけ大変なのだから、仕方ないじゃないか!」となるかもしれない。

ここでアライメントの出番になる。

介護には終わりが見えにくい。現実的には家族や周りの人達から、「今日こんな事があった。情けないやら、腹が立つやら」「一体いつまでこれが続くのか」というような、悲痛な声も耳にする。

実際に起きたことは事実で、変えようがないけれども、それは単に事実でしかない。今起きたことはすでに過去の産物となっている。

だから淡々と事務的に事を済ませ、できる限り、肯定的側面だけを見るようにすればいい。心に余裕がなくなるのは仕方ないものの、少しでも愛と感謝の気持ちを持てるように意図的に思考転換する。

「私が嫌な思いをする」という思考のラベル付けをしている限り、その感情ベースで現実が創造されて、同じような状況が延々と続く、というのがエイブラハムの教えなのだ。

問題に焦点を当てるのではなく、解決策に焦点を当てる。この二つには大きな波動ギャップがあるという。

だから起きている現実とは、うまく折り合いをつけて、どう解決してほしいかに思考を集中する。

そうやってアライメントしていると源ソースに届き、いいように取り計らってくれると言う。ウェル・ビーイングはいつも味方しようとしているとのこと。

詳しくはこちらに

mementmori.soboku.jp

源ソースがバックについていて、すべてが完璧に正しく成されているとのこと。すべてスケジュール通りに。

抵抗を手放すと訪れる「その時」

今回のような事例は、過去記事でも取り上げたが、実はここに書かなかったことがある。

mementmori.soboku.jp

記事前半には13年にも及ぶ母親の介護で、身も心も疲れ果てたという女性が登場する。エイブラハムに導かれるように抵抗を少しずつ手放していく内容。

書かなかった部分とは、最後にひどい否定的感情から解放された女性に、エイブラハムがかけたこの言葉だった。

「まもなくだ」 (母親にお迎えがくるという意味)

このセリフはインパクトがありすぎて、ずっと心に残っていた。エイブラハムのセッションによって、女性の抵抗がいっぺんにリリースされたようだった。

介護される人のため、そして介護する自分のためにも、あらゆる抵抗を手放すことが、平安を得る鍵となるらしい。

人生は修行、すべては学びや気づきのためとはよく言ったものだと思う。

死とは、抵抗からの死に他ならない byエイブラハム

関連記事:死生観が変わる深遠なエイブラハムの教えのハイライト(別サイト:note)

note.com

最後までお読みいただき、ありがとうございました。