私的空間

心に留めおきたいこと・自分への覚書

無条件の愛

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I am centered at balanced at peace

「頂き」はピークではなく平坦な道にこそある

「無条件の愛」津留晃一メッセージ集より引用

ただ単に起きてくることに気付いているようにすれば、深い悦びは感情のピークのところにだけあるわけではなく、どこの位置も悦びであったことに気付きます。

「在る」とはこういうこと

そして状況(外界)からの操り人形であった心が、やがて創造者として現実を創る位置へとシフトするのです。そんなあなたはもはや自由自在です。

自分の人生の創造造主は自分

 ピーク(山や谷)ではなく、ニュートラルなところが悟りの頂きです。これに気付いた人はもはや心が上がったり下がったりせず、いつも同じ心の位置でいられるようになります。そこが涅槃の位置です。

エイブラハムの「幸せのヴォルテックス」

 人は母親の無条件の愛から生まれます。母親は生まれでる我が子に、条件は付けません。ただどんな子が産まれるか、生まれでることだけを祝福しています。そして生まれた我が子を無条件に受け入れます。どんなに醜くとも、心からその誕生を喜びます。

今も子が誕生した日のあの無条件の愛そのものである神聖な気持ちを忘れない。

しかし、やがて制限された母親の意識が、肉体に限定された知恵を授けます。無である子供は無条件にその制限された智恵を受け取り、子供の限定意識ができあがります。肉体人間の完成です。そしてあなたのエゴが、無条件の愛に目覚めるゲームが開始されました。

無条件の愛・・・。

「無条件の愛」、これほど心地よい響きはありません。なのに人はどうして愛に条件を付けてしまうのでしょうか? 自分を制限された、限定された存在として認識している人にとって、この無条件の愛という言葉は、ほど遠いものであるかも知れません。

究極の頂き・自分は無限だと思い出す

 あなたは無限です。このことを信じることがチャレンジです。たしかにやさしいことではありません。しかし難しいからこそ、この旅が価値に満ちたものとなるのではないでしょうか。

「今この瞬間」が大事とはつまりこういうことなんだ。

我々の求めるべきものは異性やモノではありません。真に求めるべきものは我々の源であります。それに気付くために異性があるようです。内なる異性を統合し、大いなる我を求める時、無条件の愛を思い出します。

それは本来の姿で元いた場所

内なる無条件の愛に触れたとき、人は無条件に今ある現実を受け入れるようになります。今、このままが最もいいことが解ります。聞くこと、見ること、感じることの全てが、良きことのみであったことに気付きます。

創造の川の流れに決して抵抗しないことが幸せのヴォルテックスに入る道だとエイブラハムは説く。

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リラックスして起きてくることを起きて来るままに楽しむ

そんなあなたにどんな問題もあろうはずがありません。リラックスし、起きてくることを起きて来るままに楽しみます。人や現実を操作しようという気持が起きなくなります。委ねきります。逆説的のように聞こえますが、この時あなたは進化の最短距離をたどり、昇り始めます。

心を震わせる「無条件の愛」

 「無条件の愛」この言葉ほど私の魂をふるわせる言葉はありません。神は光であると伝えられました。しかし私にとってそれは単なる説明でしかありませんでした。そこに感動がなかったからです。しかし神とは「無条件の愛」であると伝えられたときには、これこそ我が目指すゴールであると感じました。(津留氏)

生きるうえで恋愛経験ほど素晴らしい人生経験はない

 人はこのいただきを目指します。そして恋を体験します。恋人は人を感情のピークへと誘います。魂の昂揚感を感じ愛の素晴らしさを体感します。ところが感情のピークは引波のごとく必ず冷めていくという過程をたどります。

条件付きで人を愛する愚かさ。人間関係での教訓。

 愛に終わりがあるとは一体どういうことでしょうか? 愛は永遠であるはずなのに、冷めて行くかに見える愛とは一体なんなのでしょうか。ときめきを感じなくなった恋人を見て、飽きてしまったのだろうか、これが倦怠期なのだろうかと思います。このことを悟ることが、今回の私の生の大きなテーマの一つであったように感じます。「無条件の愛」を感得するための、必ず通らねばならない関門でしょう。

条件付の愛は限定的

 恋人の出現によって感じる愛とは、条件付きの愛だということです。その愛は恋人がいなくなったら消えるわけですから・・・。他人に出逢い、愛することにより自分の内面にあった深い愛に初めてふれ、自分の大いなる愛に気付きます。人を愛するたびに感じる自分の奥深くに眠る大いなる豊かな愛情を、やがては誰がいなくても感じる事が出来るようになってきます。

大いなる愛とは

 プレゼントをくれたから好きになるとか、偉い人だから興味があるとか、何かが出来たら評価が上がるとか、条件付きの愛とはまさに三次元の愛です。この二極の世界では必ずその反対もあります。何かを貰って好きになった人は貰えなくなったとき嫌いになります。上がったり下がったり、揺れ動く二極世界では必ずやがて反対の極を迎え、好きになったり嫌いになったりあなたの感情も揺れ動きます。

 本当の愛は自己への愛

誰がいなくとも、あなたはもともと愛そのものです。「無条件の愛」とは、もともとあなたそのものであり、そのことに恋人は必要ありません。愛そのもののあなたが、愛を感じるのに他人は必要ないのです。

人生ゲームをしている究極の理由

そのことを思い出させるために、そのことに気付くために他人が存在しているだけです。他人とは内なる巨大な愛を取り戻すきっかけでしかありません。このことを思い出すのが人生ゲームです。このことを思い出し、あなたが「無条件の愛」そのものとして生きたとき、あなたにはもはや肉体は必要ないかもしれません・・・。

他人は自分を写す鏡とはこういうこと 

いや、私にはとてもそんな生き方は出来ないと嘆く必要もありません。もともとそうであるあなたは、今は単にゲームの途中であり、難解なゲームにチャレンジ中なのですから、高度肉体ゲームをそんなに焦って終わらせる必要もないでしょう。せっかく入った地球というゲームセンターです。何も急いで出る必要はないでしょう。子供のように、遊び疲れるまで遊べばいいのです。

  本当の愛は自分の内側にある

他人がいて愛に気付きます。元々内側にあった愛に、他人を反映して気付きます。冷めてきた愛の昂揚感を再び体験したいと、今度は別の人に新たなときめきを求めます。この人こそ絶対であると思った人との愛もやがては必ず冷めてきます。愛はあなたの外側にあるわけではないのですから。あなたが感じる愛の悦びは、他人が外から運び込むものではなく、あなたの選択によって、あなた自らがその内側から引き出しているのだと気付くまであなたのゲームは続くわけです。

 もともと愛そのものであるあなたは、これからも無条件の愛そのものでないときはありません。ただ忘れているだけです。あなたは今そのままで完全です。

あらゆる瞬間が喜びだと気づくべき

 毎日電話をくれていた彼の電話が三日に一度になったとしても、そのことに意味を与えず、ただ気付いていればいいのです。人間の本質は観察する者であり、行為する者ではないのですから・・・。

起こっていることをニュートラルな気持ちで受け入れる

昨日も、一昨日もかかってきた電話より、突然の電話の方が喜びは大きいはずです。ただ単に起きてくることに気付いているようにすれば、深い悦びは感情のピークのところにだけあるわけではなく、どこの位置も悦びであったことに気付きます。そして状況(外界)からの操り人形であった心が、やがて創造者として現実を創る位置へとシフトするのです。そんなあなたはもはや自由自在です。

忙しく、体調がすっきりしない日々が続く中あまりにも物事や人を条件付きで判断していたことを反省した。

久々にめくった津留氏のメッセージに心の洗濯と、自己回帰への再確認をした。素晴らしすぎる。感謝。

多くの人が、この本で変わった。―津留晃一コンセプトノート― (「英知の実践」シリーズ (4))

多くの人が、この本で変わった。―津留晃一コンセプトノート― (「英知の実践」シリーズ (4))