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デヴィッド・ホーキンズ博士『パワーか、フォースか』と『I 私 真実と主観性』で学んだこと①スピリチュアル探究者向き

デビッド・ホーキンズ博士の『パワーか、フォースか』改訂版を読み終えてすぐ、『I 私 真実と主観性』を購入、ページをひもとくと繰り返し読みたくなる、2冊の名著に深く胸を打たれた。

デビッド・R・ホーキンズ博士『パワーか、フォースか』の著書

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『パワーか、フォースか』と『I 私 真実と主観性』読めば波動が上がる

タイトルの『パワーか、フォースか 人間の隠された行動の決定要因』の原題は”power vs. force The hidden determinants of human behavior “

「力」という同じ意味を持つパワー対フォース。

どちらの力につながるかによって人生に大きな差がでる、と説く画期的な内容の本だ。

2020年瞑想生活5ヶ月目にして、この二冊に導かれた。本を通して、自分なりにスピリチュアル視点で学んだことを書き記しておこうと思う。

博士によるとこの本を最後まで読み終えると、意識レベルが少し上がるとのこと。波動が上がる本として紹介されることもあるようだ。

2冊の違いはスピリチュアリティ探求度による

YouTubeのラジオインタビューによると、デヴィッド・R・ホーキンズ博士の一作目の『パワーか、フォースか』は一般向けに書かれたもので、二作目の『The eye of I 』(日本語未訳)、そして完結作の『I 私 真実と主観性』は、スピリチュアル探求者のためのものだという。

そして『パワーか、フォースか』の意識レベル測定結果は850、後者はレベル979から999らしい。

完結作の『I 私 真実と主観性』は、最大レベルの悟りを拓くことに人生を捧げる人の為に書いたとのこと。

スピリチュアリティの理解がある人はなおさら読みやすいと思う。 特に『I 私 真実と主観性』はより深遠な内容で、読み進めるのに時間がかかる。それでも「すべてなるもの」についての教えには深い感動を覚える。

デビッド・R・ホーキンス博士『パワーか、フォースか』の著書
デビッド・R・ホーキンズ博士

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ホーキンズ博士は覚者

デヴィッド・ホーキンズ博士は覚醒者なので、この本は悟りを開いた賢者(グル)の教えを聞くのと同じだ。

『I 私 真実と主観性』では覚醒する前後の話を含め、また心理学、医学博士としての科学的見地から、神秘的真実について説いている。

世に覚醒した人は複数いても、こちらの世界に戻ってこない人がほとんどだという。覚醒しても師として弟子にうまく伝えられない人もいるし、あちらの世界が素晴らしすぎてとどまってしまうのだとか。

他にも賢者の自伝はあってもその内容は、わかったようでよくわからないことが多い。

例えばサイババが不治の病を治したり、大惨事になる寸前の交通事故から誰かを救ったというような逸話があるけれど、サイババ自身がどのように救ったかを語ったことはないと思う。

ホーキンズ博士は現役時代、医療現場で奇跡のような治療をしてこられた人だ。

臨死体験に似た子供時代の変容体験や、遠くに交通事故が見えて誰かを救った方法は、博士のハートチャクラから出た高次エネルギーだと述べておられる。

つまり『I 私 真実と主観性』の前書きにあるとおり、ホーキンズ博士はこちらの世界に戻ってこられた稀有な存在なのだ。

覚醒に至るまではもちろん、こちら側に戻ってくるのにも相当な苦行をされたらしいのだけれど、おかげで私達はその恩恵に預ることができている。

このような師の教えを聞いたり、本を読むだけでも意識レベルが数ポイントあがるとはありがたいことだと思う。ただしそのまま維持できればいいのだけれど、師から離れると逆戻りするのかもしれない。

『パワーか、フォースか』と『I 私 真実と主観性』で学んだこと①

博士が至った悟りの境地はもちろん、科学的な事は自分の理解の範囲を超えたものだ。 それでも自分の内にある愛の本質が共鳴するのか、魂がうち震えるほど感動する。

この世界は私達の意識を進化させる理想的な学校

よく人生を修行の場に例えることがあるけれどスピリチュアル的にも、この世界はワークショップの場だそうだ。

博士は「学校においては、親切心と優しさでもって生きることより大切なものはない」と述べている。

人生が学びのプロセスであるなら、社会はあらゆる意識レベルの人々に多様な機会と成長のための無限の選択肢がある遊技場です。人生は霊性に貢献しており、世界は私達が人生を通して自らを救済し、互いに奉仕しあえる究極の学校であると認識すれば、さほど苦痛ではなくなります。『パワーか、フォースか』より

カルマは存在する

カルマについては博士によると、 宇宙はとても高度な意識でできていて、私達の思考や行為は永久に記録されており、最終的に自分に帰ってくるそうだ。

これについては過去の自分を振り返ると耳が痛い話だけれど、だからこそ肝に銘じたい。

私達のスピリットは宇宙に公開され、すべての選択は時代から時代へと共鳴しつづけるので、宇宙に対して責任を負うのだと。これはアカシック・レコードの言い伝えを思い出させた。

洞窟の中で一人でいようが、その人の思考は望む望まないにかかわらず、他の人々に影響します。私達の一つ一つの行為の思考や選択は永久に残る宇宙のモザイクのピースとして付け加えられ、さざ波を起こし、生きとし生けるものすべてに影響を及ぼします。『パワーか、フォースか』より

引き寄せの法則のエイブラハムが「一人一人が善行をしたり気づきを進める度に、それが宇宙の成長に付け加える」と言っていたことが腑に落ちた。

またほとんどの人はカルマに基づき、生まれながら持っていたエネルギーフィールドの中で生きるようになっているという。それ以上のレベルに超越するのは稀で、上がっても平均で5ポイントとのこと。

ただし、361・0と361.1の違いは大きく、個人の人生だけでなく世界全体も変える力がある、というのは少しでも希望になる。

「この世界はホログラフィック宇宙」引き寄せの法則の関連性

私達の知覚は旅に出ると、自分の周りに風景が広がっているように見えるように感じる。

ところが実際は景色などがあるわけでなく、観察者の認識が進行しているだけなのだそうだ。

各々の見方は観る人特有の意識レベルに反映されています。この世の実際は無数の次元の中にある一連のホログラムにしかすぎません。『パワーか、フォースか』より

ボームの「織り込まれた秩序と開かれた秩序が、同時進行しているホログラフィック宇宙」を、この世のあらわれては消える幻想と関連づけている。

霊的な生徒が把握しなければならない重要なポイントは、私達が現実だとみなすもののさまざまな基層は、人間の観察という単純な行為によって著しい影響を受け、変更が可能だということです。『パワーか、フォースか』より

観察者の意識次第であるなら、私達は好きなように見たい人生状況を作り直し可能ということになる。

これはエイブラハムの引き寄せの法則の教え通りだ。

私たちの内面のワークは、ちょうど銀行口座の積み立てのようなものですが、自由自在に引き出すことはできません。その貯金の性質は、微妙なエネルギーフィールドによって決まります。しかし、そのフィールドは、私たちの生活にこのパワーを再び放つための引き金を待ち受けています。『パワーか、フォースか』より

ヴォルテックスにある貯金(願望)を自由に引きだすためには、一定の波動を持つ人にならなければいけない、とエイブラハムは教えている。それではどれくらいの波動(意識レベル)でそのような状態になれるのか。

②へ続く

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