「親に恥ずかしい思いをさせられた経験は、誰にでもあるものだ」エイブラハムがそう語った瞬間、セミナー会場は静かな苦笑で包まれた。
身近な存在だからこそ、その場の空気や周囲の視線に耐えられなかったりする。
今回の教えは、ネガティブな行動をとる人をどう理解するかーー。
これまでの思い込みを根底から変えるような教えに、心が大きく揺さぶられた。
その気づきは家族愛だけにとどまらず、人生のあらゆる人間関係に生かせる深い洞察へと広がっていく。
「いい人でない」父に困惑する息子
セミナーで質問をした若い男性は、父親の振る舞いに困惑していると言う。
「 父はいつも不機嫌で、周囲に重い空気を漂わせていて、いい人ではないんです。先日も一緒に行ったスーパーで不満をぶつける場面があり、僕はあとでレジの人に謝罪に行きました」ーーそれを誠意ある対応だと信じていたようだ。
エイブラハムは、そのことについてこんな指摘をした。
「それは内なる存在が感じていることよりも、他人がどう感じるかを優先した」ーーつまり「恥」から生まれた行動だと。
一見、他人への配慮や誠意に見える謝罪。しかし、エイブラハムの視点では、それは「恥ずかしさ」というネガティブな感情に留まり、自分自身のエネルギーを分裂させてしまう行為。
そしてこう続けた。
「内なる存在は父親のことを理解しており、彼が何を望んでいるかを知っている。だから決して恥ずかしいとは思っていない」
レジ係や世間の評価といった外部の目線を優先するとき、内なる存在との調和は乱れてしまうと言う。
それは、自分の本質から離れ、他人の基準に合わせて生きることになるーーエイブラハムは、その微細なズレが心の平安を奪うと教えていた。

苦しみの正体は?エイブラハムが示した衝撃の比喩
エイブラハムは、この父親の行動の奥に潜む見えない苦しみを説明するために、思わず息をのむような比喩を提示したーー。
「もし車に轢かれて通りで血を流している人を見たら、レジ係や誰もがその人を助けに行くだろう」
「しかし、横柄な態度を取る人を見たとき、あなたたちは助けたいとは思わない」
つまり、物理的に出血している人も、横柄な態度を取る人も、本質的には同じように苦しんでいるのだと語った。
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・通りで出血している人:肉体的な損傷による苦痛=誰もが助けたいと思う
・横柄で不快な態度を取る人:内面では同じように深い苦しみを抱えている=助けたいとは思われず、見過ごされやすい
肉体の痛みは目に見えるため、私たちは自然に手を差し伸べる。一方、ネガティブな態度の背後にある心の痛みは目に見えないため、理解されず、放置されやすい。
苦しみの源は「真の自己」との断絶
「いつも不平不満を言うのは、彼らが何らかの理由で、本当の自分から引き離された信念や思考にとらわれているからだ」
「彼らのネガティブな行動は、長年積み重なった思考パターンによって固着した勢い(momentum)の結果。その勢いが、慢性的な心の綱引き状態に置き続けている」
そして、こう締めくくった。
「ネガティブな振る舞いは、内側で感じている波動的な苦痛が表面化したサインに他ならない」
この真実を踏まえると、父親のネガティブな言動は単なる性格や癖ではなく、もっと深い背景を持っていることが見えてくる。
最大の愛と「ステップ5の瞬間」
では私たちは、親のネガティブな言動にどう向き合えばいいのだろう。エイブラハムは、「他者を説得することではなく、自分自身の視点を変えることが鍵だ」と教える。
不平不満は「願望のロケット」の裏返し
「苦しんでいる人は、トラブルだらけの人生を通じて、数えきれないほどの願望のロケットを打ち上げている」
「彼らは真実や幸せな生き方がどこかにあるという証拠を求め、大きな願いを抱き続けているのだ」
エイブラハムは、こう断言した。
「あなたの父親ほど、大きな愛を経験している人はいない!」
「たとえ今、その愛を表に出せていなくても、その可能性は彼の内側に確かに存在し続けているのだ!」
道を照らすサテライトになれ
私たちが目指すべきは、内なる存在とアライメントしてステップ5の瞬間に立つことだと言う。
つまり父親がレジで不満を爆発させても、「ああ、それが今の父の姿だ。でも僕は父が本当は誰なのか、何を本当に望んでいるのかを知っている」と深い理解と愛を持って見守る。
エイブラハム「このとき、あなたは恥ずかしがっているのではなく、愛と理解をもって親と共に立っている」と。
「内なる存在と調和した状態でいるとき、あなたは父親にとって衛星放送受信機(satellite dish)のような存在になる」
「彼らはこの世界がひどい場所ではない、という証拠を探している」
息子として謝罪に戻る行為ーーつまり他人の評価を気にする行動は、血を流している人に説教するようなもので、根本的な癒しにはならないと言う。
「彼がずっと探し求めている愛と理解のシグナルは、あなたが調和しているときにこそ届きやすくなる」
「苦しんでいる父親を、愛と理解の波動で見守るとき、あなたは彼がまだ辿り着けないホーム(本来の自己)への道を照らす光となるのだ」
親を正そうとするのではなく、自分自身が内なる存在の愛の中に立ち続ける。
「あなたが微笑み、理解を示し、その場から逃げずに寄り添うとき、彼の心は少しずつほどけていくかもしれない」
「お父さんが亡くなる前に、そのような瞬間がいくつかあったら素敵だと思わないかい?」
この真実を理解した上で、私たちは親のネガティブな言動にどう対応したらいいのだろう。エイブラハムは、他者へ説明したりするのではなく、自分自身の視点を変えることが重要だと教える。

アライメントして真の姿を見る
私たちが取るべき対応は、アライメントし、ステップ5に達すること。
※エイブラハムの「ステップ4」はアライメントの熟練レベル。そのさらに先にある「ステップ5」は、トラブルやネガティブな感情が訪れても「これでまた望みが広がる」と自然に受け止められるなどより源ソースに同調した成熟レベルのこと。翻訳本ではまだ触れられていない内容なので、ここで補足しておきます。
つまり、父親がレジで不満を爆発させるのを見ても、「ああ、それが今の父の姿だ。でも、私は父が本当は誰なのか、何を本当に望んでいるのかを知っている」という深い理解と愛を持つ。
このとき、「恥ずかしがっている」のではなく、愛と理解をもって父親と共に立っている。
また、エイブラハムが言うには、息子が内なる存在と調和した状態でいる最大の効果は、父親に対して「衛星放送受信機(satellite dish)」のような役割を果たせること。
「いつも不機嫌な父親は、この世界がひどい場所ではないという証拠を求めている」
息子として謝罪に戻る行為(他人の評価を気にすること)は、血を流している人に説教しに行くようなものであり、根本的な解決にならないとーー。
「彼がずっと探し求めている愛と理解のシグナルは、あなたが調和している状態にあるとき、より近くに届くようになる」
「苦しんでいる彼を、愛と理解の波動をもって見るとき、あなたは彼が到達できないでいる「ホーム(本来の自己)」への道を照らす光となるのだ」
「親を正そうとするのではなく、自分自身が内なる存在の愛の中に立ち続けること。あなたが微笑み、彼を理解し、逃げ出さないとき、少しずつ柔らかくなり始めるのに気づくかもしれない」と語った。
「お父さんが死ぬ前に、そのような瞬間がいくつかあったら素敵だと思わないかい?」
感想‐ 無条件の愛が関係を癒やす
ご多分に漏れず、親や身内の言動に困惑した経験がある。質問者の男性と同じように、周囲の目を気にして当事者をフォローしたこともあった。
この教えを聴いた後、あのとき自分は一体誰の味方をしていたのだろう、と改めて考えさせられた。
クレーマーやトラブルメーカー、横柄な態度をとる人、不平不満をまき散らす人たちーー。これまで「困った人」としか見えていなかった存在が、全く違う姿に映るようになった。
ネガティブな行動の裏側には、真の自己との断絶という血を流すほどの深い苦しみがある。
そのことを理解し、スピリチュアル実践者として「波動的な対応」を選ぶことで、相手との関係だけでなく、自分自身も癒やされていくのだと知った。
エイブラハムはこう語っていた。
「年を取るにつれて、人々は思考パターンにますます固執しがちで、そうやって不公平、不平等、そして世の中の悪事という彼らの思考を裏付ける証拠をさらに引き寄せてしまう」
それはつまり、本当の自分とのつながりを失った苦しみの表れーー。
レジ係に後から謝罪することも善意かもしれない。けれども本当に必要なのは、まず父親を無条件の愛で包み込んで理解することだと言う。
エイブラハムのこの言葉が忘れられない。
「お父さん、僕は本当のあなたを知っています。この状況下では、地球上の誰もがあなたのように頑固になるでしょう。なぜそうなのか理解できますから…」
ーーあなたの父親は、あなたにこの機会を与えている。本当に素晴らしいことなのだーー
親の姿を通して学ぶのは、結局のところ自分自身との調和なのかもしれない。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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エイブラハムの「他人の波動はコントロールできない」ーーそう聞くと無力に感じるかもしれません。けれども、自分が整うことで周りに良い影響を与えることができると教えられています。(=波動の影響力)
今回出てきた「サテライト(衛星放送受信機)」の比喩については、noteの有料記事で少し触れています。身近に苦しんでいる人がいるとき、自分にできることは何だろう?そんな視点に興味がある方はのぞいてみて下さい。↓↓↓