先日、『モーガン・フリーマン時空を超えて』の『時間は遡ることができるのか』(最終回・2016年放送NHK)を再視聴した。
メインテーマのブロック宇宙論は、セスの多重宇宙に通じるものがある。
現在・過去・未来は同時進行という教えの理解に役立つので、文字おこししつつ、科学とスピリチュアルを繋ぎ合わせるような番組内容を、イラストでイメージしてみた。
注:以下は番組で解説されていた内容となります
絶対的な時間は存在するのか(モーガン・フリーマン時空を超えてより)
モーガン・フリーマン:
私たちは皆、時間を前に進んでいる。
過去の出来事に干渉して、現在を書き換えることができるとしたら、過去に戻ることはできるのだろうか?
過去は変えようがないが、未来はまだ白紙の状態で何でも起こりうると、私たちは思っている。
しかし、アインシュタインの登場で、時間の概念は揺らぐことになった。
彼の相対性理論によれば、過去・現在・未来という時間の区別は、単なる幻想に過ぎないという。
過去も現在も未来も全て、そこに存在するなら、時間の流れを逆向きにすることもできるのか。
脳は私たちの時間の感じ方を、しばしば歪めている。
鏡の前で自分の視線を左右に動かす時、目の動きが追えずに、一瞬時間が止まったようにも感じる。
そもそも絶対的な時間というものは存在するのか。アインシュタインは時間の本質を説明しようと試みた。
相対性理論によれば、空間が3次元であるように、時間も一つの次元となる。
その場合、空間に絶対的な「ここ」が存在しないように、時間にも絶対的な「いま」は存在しないことになる。
哲学物理学者クレイグ・キャレンダー(カリフォルニア大学):
「例えば、ここはサンディエゴですが、世界にはロンドン、など色々な場所が存在しています。時間にも、それと似たようなことが起きています」
アインシュタインは、すべての時間は他の3つの次元と共に、すでに存在しているという。
つまり過去も未来も現在も、すべて同時に存在しているというものだ。
ブロック宇宙をスライスすると「現在」になる
すべての時間と空間は、すでに存在しているという考え方を、ブロック宇宙と呼ぶ。それをケーキのようなもの(立方体)と考えてみると・・・。
キャレンダー:
私たちは、スライスされた宇宙の断面を、現在として味わう。後ろにあるものが過去、前にあるのが未来。
~番組内容を元にしたイメージ~
この場合、ナイフの位置がその人にとっての現在となり、誰もが異なる形で、過去・現在・未来を切り分ける。
もらうケーキの断面が人によって違うように、現在のあり方は人によって異なる。つまりその人独自の角度で切り取られた現在がある。
アインシュタインによれば、ケーキの切り分け方で、特にこれが正しいというものはなく、どのような切り分け方をしても平等で合理的だという。
ただし、重要ポイントが一つある。
私たちは一度にすべて見ることができず、「現在」しか見ることができない。
歪んだ時間の感覚
地球上における「現在」には、太陽系から最も近い恒星アルファ・ケンタウリから届く光も含まれている。
しかし、アルファ・ケンタウリからの光が、地球に届くまでには4年かかる。つまり我々の現在には、4年前のアルファ・ケンタウリの情報が含まれていることになる。
逆に、アルファ・ケンタウリに宇宙人がいるとすれば、4年前の地球の情報を含む現在を経験していることになる。
脳は私たちをだまし、「現在」を全ての人に共通する、絶対的なものだと思い込ませる。
さらに過去・現在・未来も同時に存在しているのに、時間は一方向に流れているものだと信じ込ませているのだ。
これは脳が「現在」という断面を、一つにつなぎ合わせて、動画のように見せているだけだと、物理学や認知科学にも精通する哲学者キャレンダーは考える。
私たちは記憶を、一方向にしか持てない。
あなたという存在は「赤ちゃんのあなた」、「大人のあなた」というように、時空を貫くアイデンティティの連続だ。
だから時間というものが流れているように感じているが、実際にはブロックの中を何かが動くわけではない。
モーガン・フリーマン:
私たちの時間の感覚は歪んでいるようだ。ではその歪みを正すことはできるのか。
時間の流れは止まらない。脳が処理できるのは、一度にひとつの瞬間、つまり「現在」と呼ばれる時間だ。
もし全ての時間が同時に存在するなら、時間の見方を変え、未来を覗くこともできるのか。
アインシュタインの時間理論に数十年費やしてきた物理学者のジェームズ・ハートル(カリフォルニア大学):
相対性理論には過去・現在・未来の概念がない。人間による、そのような概念は、脳の構造に由来するものだ。
脳は絶え間なく情報を処理し、最新の情報を「現在」として捉える。そして古い情報を次々と、記憶という倉庫に収めていく。
では、これまでにないやり方で一連の出来事を解釈し、時間を違う形で捉えた場合、何が起きるのかとハートルは考えた。
実験「10秒遅れのゴーグル」でホッケー試合
ハートルは、一人のホッケー選手に、他の選手の現在の出来事から「10秒遅れる映像を見せるゴーグル」をつけて試合をさせるという実験をした。
そのホッケー選手にとっての現在は、他の選手の現在の10秒前の出来事なので、当然、彼は後れをとり、まともなプレイは不可能だった。
ホッケーの試合の場合、時間を10秒後に捉えても何の役にも立たないことになる。
これが自然界なら影響はもっと深刻だ。
狩人が、そこにいると思った獲物がすでに逃げていたなら、狩人は永遠に獲物を捕れないばかりか、逆に自分が獲物にされてしまうかもしれない。
つまり、生き残るための最も効果的な方法として、脳は目の前の情報を「現在」として認識する能力を発達させたのだ。
さらにハートルは、複数の「現在」を経験できる脳が、果たして有利なのかどうかを考えていた。
もし、脳があらゆる瞬間を「現在」として認識できたら、貴重なこの情報処理能力を、役に立たない選択肢の情報処理にも費やすことになる。
ホッケー選手に例えると、選択肢の多さに圧倒されて、動きが取れなくなってしまうと、ハートルは結論づけた。
過去・現在・未来という時間の捉え方は、人間が生き残る上で最良の選択であり、この環境に最も適した物語を、脳が創り出しているのだと。
番組内容はここまで~ 以下はスピリチュアルの内容となります~
セス・マテリアルの多重宇宙世界
相対性理論では、現在・過去・未来は同じ時空間に広がっていて、それが散在する状態にあるので、「時間が流れる」という表現は間違っているとのこと。
これはセスが教える転生の事実に通じるものがある。
私たちは転生(生まれ変わり)を繰り返す、純粋意識の存在だという。
それをイメージするのに、番組内容で語られているブロック宇宙論が適例だったのでイラストにした。
注:セスの多重宇宙は、この四次元立方体に収まるものではなく、そもそも何次元なのかさえ分からない
物質世界の住人側からすれば、過去・現在・未来だけでなく、転生も同時進行しているなどは、にわかには信じがたい。
セスによれば、私たちが出来事として経験しているのは、スピリットと肉体が交差する瞬間点から発生する錯覚=幻想とのこと。
転生で言えば、「自分とは〇〇国の○○市で○○をしている自分」・・・。
私たちは自分のことを一次元的に、そのように認識しているが、実はそうではないらしい。
どの転生先の自分も、それぞれ肉体や時間の連なりを持ち、蓋然性の中から時系列で、日々の出来事を具現化しているというのだ。
例えば4世紀の農民の自分と、15世紀の金持ちの自分と、21世紀の貧しい自分など、それぞれが一つの人格存在(エンティティ)の中で、同時に生存していて、見えない次元の内的なエネルギーで相互作用しあっているとのこと。
セス:「多くの人が同じ町で同じ家で同じベッドで起床し、同じ世紀の同じ人物として目を覚まします。それになぞらえると、大元の広大なエンティティは毎日違う世紀の違う人物として目覚め、そこで一日を過ごすように、それぞれの人生を送るのです。エンティティは個々の転生(並行)自己たちのすべての記憶や経験を同時に携えています」
それぞれの自己たちとは夢見や、テレパシーを通じてお互いに交流している。
物理的次元に表出してくるものには、例えば何の脈絡もないインスピレーションや、意味不明な衝動があるとのこと。
何気ない日常で、ふとバイオリンを習ってみたくなる時などは、転生自己の一人がバイオリンを弾いている。
またセスはこの意味で、カルマの法則を打ち砕く。全てが同時進行しているので、生まれ変わり(=転生)には順番などないことになるからだ。
原因と結果による因果関係がないのなら、「前世で罪を犯したから、今世ではその罰として不運」などはナンセンスな話となる。
ブロック宇宙論では、過去・現在・未来はすでに決まっていることになるが、セスは現在という断面を差し替えることで、過去も未来もつくり替え(改変)が可能だという。
一見、意味不明に思える話も、セスの教え「蓋然性」を知れば理解可能かもしれない。
空腹の人に5千食を差し出す宇宙
セスによれば、私たちは多重宇宙の多次元的存在で、無限で多種多様な蓋然的な可能性を持ち合わせているとのこと。
エイブラハムは動画で、パラレル・ワールドのことを「お腹がすいたと言えば、5千食が宇宙から瞬時に用意されるようなもの」と語っていた。
5千というのは例えに過ぎないと思うが、宇宙は求めに応じて、それくらい無数の何かを用意する。
見えない領域では、蓋然的な出来事は実際の出来事として起きているらしい。
そもそも時間というものは相対性理論も示しているように、私たちが知覚している形では存在していない。
つまり血肉を持つ私たちが、この時空で体の感覚器官を使って知覚しているものなど、宇宙が差し出す無数の蓋然的選択肢の中の微々たる一つしでしかないということ。
一般的な蓋然性の意味:ある事柄が起こる確実性や、ある事柄が真実として認められる確実性の度合い、確からしさという意味がある
セスが教える蓋然性とは、主観的な現実には、その時点でその人に採用されなかった(知覚されなかった)出来事、進路、選択、能力などのありとあらゆる全ての痕跡があるらしい。
つまり実際には、別次元では一つの出来事として存在していたということになる。
蓋然的に他にもいくつも選択肢と可能性があったけれども、その時ただ知覚されなかっただけだという。
またその蓋然的出来事のそれぞれが、無数の別の道に通じている。
さらにそこからどんどん、蓋然的な行動の道筋が広がっていて、そこには限界や境界がないという。
多次元的人格で、蓋然性にあふれた多重宇宙に生き、すべては同時進行しているなら、今「これが自分」と認識している自分とは、どの自分なのか?
そう考えると訳が分からなくなるし、些事を深刻に考えていることが馬鹿ばかしくなる。
セス:それぞれが自分自身の「蓋然性」の織物を紡ぎ、そこから無数の絶え間ない他の宇宙が生まれています。蓋然性の選択肢の中からあらゆる可能性の中から最高のものを本当に創造することができるのです。意識の基盤に「蓋然性」という豊かな織物を入れることで、あなたの人生の次元をもっと深めていくことができるでしょう。
自分が望めば、その無数の蓋然的出来事の中から最良のものを選ぶことができる。この知識を自己の限界を超えることに生かしなさいというのが、セスの教え。
エイブラハムの5千食の例で言えば、宇宙は最高の食事から最悪な食事まで、ありとあらゆるメニューを瞬時に5千種類も用意するという。
にもかかわらず、なぜ最高のものに当たらないのか。なぜわざわざ一番安いものを選んでしまうのだろう・・・。
「自分が自分の現実を創っている」
このエイブラハムやセスの教えに答えがある。
最後に
時間が連なって見えるのは、脳が現在という断面を一つにつなぎ合わせて、動画のように見せているだけというブロック宇宙論の仮説は、セスの多重宇宙に近いように思った。
大好きだった『モーガン・フリーマン時空を超えて』のこのエピソードを初めて視聴したのはもう何年も前になる。当時は時間が同時進行しているなど、まるで理解不能だったのが、セスを知ってからは違和感がなくなった。
時折、子供の自分、若い自分、まだ見ぬ自分や、転生先の自分は何をしているのだろうと思いを馳せる。
今の自分には、現実的にあり得ない何かに心惹かれた時は、別の次元の自分を感じて、そんな時は心が通じたようで嬉しい。
多次元的存在の自分がいて、その下にはソースエネルギーの存在があると考えるだけでワクワクするし、パワーをもらえる。
エイブラハムは、「あなたたちの人生は、写真の自撮りしているようなものだ」という。
結論を言えば、私たちは身体の脳神経機能のために一度に一つずつ、つまり「現在」しか見ることができないとのこと。
けれども見えない次元では蓋然性、つまり「無限の可能性」という招待状が用意されていることに希望を見出したい。