●「星占いをみてくれる人がいる 」
自分の死ぬ歳を聞かされたという話に戻りたいと思います。
人の生きざまと死にざまを目の当たりにする聖地バラナシからニューデリーに戻るまではまさかそんな経験をするとは思いもしませんでした。
「きつねに包まれる」とはまさしくそんな感じでした。
現地のインド人を介して、デリーで占い師を知ってるという人物があらわれ、会わせてもらうことになったのです。
小さな部屋で、ヨガの結跏趺坐の形でその占い師と向き合いました。
その出会いが驚愕の一言に尽きたのです。
なぜ目の前にいるこの人物が、名前さえも告げていない状態にもかかわらず、今日初めて会ったばかりの私のフルネーム、生年月日を知っているのか。
最初は、この人物を「星占いをみてくれるヨギだ」と私に紹介したインド人が、こっそり教えたのだと思いました。
それにしても、フルネームは教えてないはず、いや勝手にパスポートを盗み見されたのかもしれない・・・。
そんな疑問を制するかのように、そのヨギ(ヨガの行者)は矢継ぎ早に、私の住所、どこからきたのか、前の仕事・今の仕事、家族の名前、過去に私と関わったことのある人物の名前を、一字一句間違いなく言い当てました。
もしこのページを読んでいる人がいるとしたらきっと、私が作り話をしているに違いないと思うでしょう。
私自身も信じられなかったのですから当然です。
それにこれから書くことも信じてもらえないかもしれません。
これに関してはまるで、今でも考えれば考えるほど混乱するのですが、まやかしでないことはまぎれもない事実なのです。
それとも言葉どおり、ただきつねに包まれただけだったのか?
書くことで、自分にとって数年越しの「宿題」を解こうとしています。
長い間、下書きに入れたままでした。
それでもやっぱり正解が思い浮かばないので、「メメントモリ」の続きを書くのを途中で放棄するかもしれません。もう少し時間が必要かと思います。
だんだん支離滅裂になってきました。
本当は自分がこの世を去ったあとに残された家族に「目に見えない大切な何か」のこと、自分は今どこにいるのかを残したいと思って、これを書き始めたのですが・・・。
「霞をくう仙人」がいてもおかしくないインド?
霊性の国インドには、土着に生きる市井の人々だけでなく、解脱と覚醒を目指して修行を続けるヨギ(ヨガの行者)がたくさん存在することはよく知られています。
それまでに本でいろいろ読んだことがありました。
日本でいうと「霞を食べる仙人」のようなもので、水や食べ物を口にしなくても長寿を保っているようなヨギもたくさんいるとも・・・。
「さもありなん」と私は昔も今もそう思っています。
もちろん、これらは日本でスピリチュアル系の書物で得た知識と情報であって、あくまでも想像の範囲ですが。
「無秩序が秩序となす」インドではとにかく何でもありの、ヒンズー教を主とした宗教を背景にした悠久の歴史や伝統、霊性、そして聖なるもから卑俗なものまですべてを包み込む何かを持っているようです。
インドってすごい、なぜインド?
「メメント モリ④」で書いたように、前世を記憶する子供たちのインドの例が多いこと。
霊性の国でありながら、何故いまだにカースト制が残っていたり、ひと昔前の時代にタイムスリップしたような後進国のまま、貧困を生きる人たちが大勢いるのか。
「地球に舞い降りた宇宙人が気まぐれにその知識を振りまいていった」天才数学者ラマヌジャンや、「生き神」と呼ばれるサイババのような人物は、なぜ他の国ではなくて、インドで生まれたのか。
古代インドの伝統的な思想の一部で、個人の人生がすべて印されている記録があるというアカシックレコードがあるという話。
中村天風が死の病で絶望の淵にいたとき、インドのカリアッパ師のもとで修行して「無の境地」に達して、体を見事回復させたこと。
チャネリングによって、生粋のアメリカ人のダリル・アンカ氏に降りてくるときにバシャールが話す英語がなぜインド人の訛りっぽいのか
いや、アラブっぽい?とにかく、ダリル・アンカ氏とは別人格であることには違いありません。
etc・・・
昔も今も、私のシンプルなこんな疑問や、現実レベルで謎だらけの事実は、インドという国だけが持つ神秘性に凝縮されているような気がします。
この国には人の理解を超越した何かがある。
「インドってすごいところ」
その頃はとにかく好奇心いっぱいにインドに惹かれて、ただただそんな本ばかり読んでいました。
普通の女子なら婚活にいそしむべき時期だったのに、ほんとに自分でも変な女だったと思います・・
それに 前世はインド人だったことがあるのかも。(それだけは勘弁してほしい)
現在・過去・未来
私をインドへの一人旅へ駆り立てた「運命が書かれた葉っぱ」のことは、インドでいろんな人に聞いてみましたが、「そんな話は聞いたことがない。」という答えが返ってくるばかりでした。
はっきり言って自分もそれほど期待していたわけではありません。
話を知っているインド人に真偽を聞けたらもうけもの、くらいに思っていました。
不思議の国インドに足を踏み入れて、一度どんな所か自分の目で確かめたかっただけかもしれません。
「本当の自分の探求」などかっこいいことも言っていましたが、現実は単純な好奇心か、ただの現実逃避です。
その「葉っぱ」のことはどのように知ったのか・・・。
「 アガスティアの葉」とは
輪廻転生を基にした「宇宙のデータベース」のアカシックレコードのようなものが、インドの由緒ある家系に代々受け継がれていて、未来に読みに来るであろう人に葉っぱに記されている予言のこと、と私は受け取っていました。
読みに来た人の今世での運命が一枚の葉っぱに書いてあるという、信じられないような話を、著者の実話をもとに綴った本が、その当時話題になったのです。
「アガスティアの葉」青山圭秀
結局、その本の著者と内容についてはその後いろいろな疑惑があることがわかり、
あとになって興ざめしたものですが、その本の内容にロマンを感じるなど、私自身踊らされたのは事実です。
「もし運命が決まっているならどんなものか知りたい。」
この先自分にはふさわしい結婚相手などいないのかもしれないなどと、漠然とした不安を抱えていた時期だったということもあります。
インドの「アガスティアの葉」は本当に実在するとは知っていますが、今となっては気にも留めていません。
「運命が決められている」などということに、今はまったく興味がなくなったのです。
その頃インターネットでもあれば、徹底的に調べることができたかもしれないのですが、本でしか情報が得られなかった時代です。
調べていたらインドへは行っていなかったかもしれないし、それもこれも自然な流れだっということなのでしょう。
話は最初に戻りますが、私にそのヨギを紹介してくれたインド人も、多分よくわかってなかったと思います。
その人が「当たるも八卦当たらぬも八卦」のレベルの占い師などではなく、超人的なある種のテクニックを持つヨギだったということを。