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エイブラハムの教え セミナー動画の内容と感想などまとめています

「ワクワクに従わないで人生に妥協するのは、死んだように生きること。」古い港は風前の灯火、新しい港へ

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Get busy living or get busy dying.

「一生懸命生きるか、死んだように生きるか。」

スティーブン・キングの小説「ショーシャンクの空に」

 

 

今年の秋頃から大きな変動があるとバシャールは預言しました。

地球がどうこうという問題ではありません。

共同創造を担う役目ができる人から気づきを通して、意識を変革していこうというアセンションの呼びかけと、個人的に解釈しています。

 

意識レベルやステージの高い人からの、良いエネルギーがパワーを増し、どんどん拡大・成長しているのでしょうか、私もここ数日、扉を開け放て、と迫られているような感じがしています。というよりもそう信じたいのです。

 

理解できた人から、他の人たちへ祝福のエネルギーとパワーを与えることができるのかもしれません。

 

未解決のプログラミングを解いて、最後の理解ができるよう、再度自分の中で確認していきたいと思います。

 

 

さて、バシャールやほかのスピリチュアルでよく語られる「ワクワクに従って人生を生きる」とはどういう意味なのでしょうか。

 

「空・舞い降りた神秘の暗号」を読み返していて、その答えを示唆するくだりがあったので書き留めています。

 

この本の内容もなかなかのものでした。

この現実がただのホログラムや夢のような観察意識だということが書かれているのに、前回読んだ時点の自分のレベルでは、読み落としていることが多々あったからです。

 

中でも「とっておきの秘密」と、「願望実現のアファーメーション」は必須です。

そして「愛され感覚」のこと。

これはまた別の機会に書きます。今の自分にとって重要課題です。

なぜなら「プレゼントは贈るより受け取ることの方が案外難しい」との本の言葉どおり、これを地でいくような人間だから・・・。

 

空(くう) 舞い降りた神秘の暗号

空(くう) 舞い降りた神秘の暗号

 

ワクワクすることに情熱を傾けて生きているだけで、人生のすべての面が好転するという意味とは?

 

「夢?希望?何だったけ。何をどうしていいかよくわからない。」

「私のすべきことは何なのだろうか」

「役目はあるのか」

 

人は本来、生きる情熱を持っているはずなのです。そのためにこの世に生を受けたのです。

 

それなのにわからないなんていうのは、「あたま」で考えているから。

「あたま」はいらない、「感じること」でしか願望は理解できない。

 

「感じる」という能力を、「あたま」で作り出す思考が、どれほど自分が持っている夢や願望を抑圧して、わかりにくくしているかに気付かされました。

 

「あまり複雑に考えなさんな」と言ったのは中村天風です。

ブルース・リーは「考えるな、ただ感じろ」と。

 

 

身体で感じるフィーリングがすべて。

 

おなかの丹田のほうでじんわり感じる幸福感こそがすべてだと言います。

 

スピリチュアルな生き方とは「生」への情熱を呼び覚まし、それを喜び祝福する生き方のことです。

 

「生」への情熱、好奇心、衝動を封じ込んでその代わりに安全策や妥協を選ぶ時、あなたはその段階ですでに「死」を選んだことになります。

 

あなたは「自分自身の人生を生きたくない」と決めたことになるのです。

それはあなたが宇宙や自分の真実を信じていないことの証明です。

 

 

ワクワクする「生」の変化に生きないのなら、あるいは自由を選ぶ意志がないなら、それはもう死んでいるようなものなのです。

 

これにはガツンときました。

つい目先のことを前にするばかりで自分を見失い、一体何をしてどこへ行きたいのかが見えなくなってしまいがちです。

それにワクワクに従って生きる意味を、理解しているようでなかなかよくつかめていなかった。

 

 「あたま」で考えるということは、ある意味他人の影響を受けて右往左往したり、社会通念や人の価値観にとらわれて物事の価値判断をしてしまうことです。

 

ラムサは、人はそれぞれの想念を宇宙に放射していると語りました。

その想念が集合意識となって、いわば宇宙のフィルターを通過し、再びこの世に跳ね返すのだそうです。

 

神々からみると、大都会ほどそのフィルターは気持ち悪い色をしていて、いかに多くの人間の思考がよどんでいるかを表しているとか。

 

フィルターを一瞬一瞬通過してくる思考を、通常はただやみくもに受け取る仕組みになっているので、人が人生の出来事や局面に一喜一憂してしまうのはある程度仕方がないことのようです。

 

 

ワクワクに従って生きるということは、感じて知るものであって、考えて出てくるものではないということです。あたまで考えることではありません。

 

「感じる」ことに重きをおいていたら、あたまの思考は跳ね返すことができるはずです。

 

そしてここからが大事です。

そんなときはその思いに気づいたことに祝福すること。

 

恐怖・不安・心配のエネルギーが浮上してきたときは、ただ通過して収縮していくのを俯瞰します。

何の心配も入りません。

ネガティブな想念を「そんな風に悲しくなりたかったんだね。」などと受け入れてあげるのです。

その想いを祝福します。

 

そうするとそんな不快な感情は、いつのまにかどこかへ消えてなくなるのです。

引きずりたいのならご自由に。悲しみのどん底まで行くのも簡単です。

もし引きずりたくないのなら、また新たなエネルギーを感じる「いまこの瞬間」に戻り、目の前のやるべきことに集中しましょう。

 

 

拒絶するのではなく、その思いに気づいたことを受けいれて喜んで手放すとうことです。

そうすればいつの間にか、自分を悩ませたそんな苦悩は消え去るということです。

 

そもそも負の思考であっても、物事にはすべて表と裏の側面があるので良いも悪いもなく、ただ「在る」だけなのですから。

 

また言葉というものは一つの過程、象徴、概念にすぎないのに、人は頭で考えた思考という「言葉の奴隷」になりすぎているのだと思います。

 

私もそんな言葉の持つトリックにどれだけ翻弄されてきたことでしょう。もちろん年齢を重ねれば重ねるほど、ねっとりしたしつこい虚言に惑わされるようになっているのですが、そのつど振り払っています。

 

バシャールのいう「噓の父」との綱引きはもうやめようと悟りました。

 

言葉を信用しないで、身体のフィーリングの方に耳を傾けたい。

なぜなら人は言葉を超えた存在だから。

 

宇宙には言語がないといいます。

私が感じるフィーリングだけが、言ってみれば宇宙が理解し得る言語のようなものだと、「引き寄せの法則」のエイブラハムは説いていました。

「何々が欲しい、それを望みます」などと、苦し紛れに「言葉」でお願いしても、神々には聞き届けられないようです。

 

願いを実現したいなら、先にイメージしてそれを感情で感じること。

「空」の著者はそのことを「前喜びする」と書いています。

 

古い港はもう風前の灯です。

では新しい港はどこに?

 

それは「あなた」という港です。

すべての中心である「あなた」が港です。

 

新たな一歩は、ワクワクする各自の世界に向かうのです。

新たな一歩はあなたの独自のハートの思いから踏み出します。

新たな一歩は他者の制限やコントロールに左右されません。

 

彼らは昔の古い場所から動けないでいるだけです。

自分が動けないから他人の第一歩を許せないだけです。

 

 

Get busy living or get busy dying.

「一生懸命生きるか、死んだように生きるか。」

 

映画「ショーシャンクの空に」の主人公はハートで信念を感じ続けて、最後に自由を得ました。

 

社会意識が作り出した世界の思考を「あたま」で受け取って左右されるのは死んだように生きる囚人とそう変わりはないのです。

 

今度こそ自由の身となるために、限りない思考をえるために、「あたま」で考えず、身体のフィーリングに敏感になってまず感じたい。

 

ワクワクに従うということは、あれやこれやを自由を制限する、「あたま」が作り出す思考から脱却するということ、先に喜びを身体で感じるとあとから現実がついてくることなのだと思います。

自分が「どう感じたいか」が大切です。

 

もう安全対策や妥協はしたくないと決意表明をします。

ワクワクに従って生きます。なぜなら「私」が港なのだから。

 

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