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望まない状況に遭遇したら「意図的創造のプロセスを知る」人生における究極のトロフィーとは

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意図的創造は「思考」と「感情」のバランス

エイブラハムの引き寄せ本シリーズの一冊の一節に、心に留めておきたいページがある。

意図的創造のプロセスは二重になっているという。

「何をするか」より「どうしたいか」に力点を置くことが大事で、それは後ろ向きに創造することになる。

「すること」に力点を置くと、していることに気をとられるだけで自分がどうなりたいかを見失いがちだ。

行動よりもまず自分がどう感じたいか、何を手に入れたいかを突き止めるのが先で、

その後にひらめいた行動に移れば逆向きだったり、裏返しに創造することになる。

そのやり方で思い描いたとおりの人生状況がもたらされるという。

順番が普通とはあきらかに違うため一般通念からは理解しがたく、このポイントを解釈するのにずいぶん時間がかかった。

これはバシャールのいうワクワクと同じでもあるし、このことは見えない世界と物質世界の成り立ちでもあり、引き寄せの法則の要になる。

思考と感情。

このバランスの組み合わせが人生経験を創っているのだ、とエイブラハムは説く。

実際そのようだ。

ああ・・・。それにしてもなぜこうも、日々遭遇する経験への感情と思考をコントロールするのに手を焼いてばかりいるのだろう。

考えると感情がわき、自分を悩ます雑事や経験も少なくない。

自分の経験の、様々な側面を思考は渡り歩く。

仕事や人間関係、家族、健康、または人生のあらゆる局面について考えるべきことはどれだけ多いことか。

自分が今していることを考えることもあれば、そうかと思うと過去の出来事や、誰かとのかかわりを思い出したり、これからのことを考えることもある。

つまり私の思考は過去・現在・未来という広範な話題を行き来するのだ。

中にははっきりしたテーマもあれば漠然としたものもある。

そんな日々抱く考えの中には、時折高尚なものもあれば下俗的なものもあるし、楽観的になれるものとその反対のものもある。

このバリエーションの幅広さといったら、年齢を重ねるごとに広がりをみせる気さえする。

注意したいのがエイブラハムによれば

「これらすべてが、一つ残らず自分の人生のバランスを創っている」ということだ。

「自分という存在は思考と感情のバランスを示す証拠として、この物質世界に焦点を結んでいる」とある。

つまり、意図的目標を持って来るべきもの(自分の思考が創造したもの)を期待するほうが、自分の来し方を振り返ってその足跡を辿るより満足度が大きい。

自分こそがこの経験の創造者ということを、常に意識しなければならない。

だから物事が良いように行っている時は立ち止まって自分がそれを引き寄せたことを認め、どんな思考と感情が今のその状況を創ったか突き止めるといいそうだ。

逆に望まない状況が起こっていたら一体どんな思考と感情を抱いたせいか振り返って見極める必要がある。

自分の身に起こるすべてのことにすすんで責任をとろう。

そうすれば想像しうる限りの素晴らしい未来を築くための、そして輝かしい究極の自由を見出すことになる。

これが意図的創造の法則で、よく人々が安易に使う「引き寄せの法則」の本質だ。

引き寄せとは創造と同義語でもある。

究極のトロフィー

この世に生まれた究極の目的は、「自分が創造者である」という原理を知り、望むことは自分自身の思考で創ってその「「喜び」を味わい尽くすととラムサも言っている。

物質的観点から言うと、人はたくさんのお金や物を獲得できればできるほど成功すると捉えられている。

しかし本当の意味での究極のトロフィーは「喜び」という感情を得ること。

墓場には何も持っていけないとよくいうけれど、人は裸で生まれきて裸で死ぬ。

肉体をいう器は物質的状態が終わると消滅するので、所有していたお金や物の存在もその場で消える。

けれど感情が魂に刻んだ物質世界での成長、努力、愛などの成果は消えることが決してなく蓄積していくそうだ。

そこに「喜び」というトロフィーをできるだけたくさん持っていくことが、見えない世界での真の成功となる。

そのために人は身体という器を持ち、幾度となく生を繰り返しているという考え方がとても好きだ。

話は戻ってエイブラハムが説くように、日々抱く雑多な感情さえもが自分の人生のバランスを創っていたり、その創造のスイッチは決して切れないのだとすれば、やはりこのことを肝に命じて、自分のどんな些細な思考をも見張って管理する必要がある。

いわば究極のトロフィーという喜びの感情を得たいがために、自分は物質的身体を得てここにいるのだ。

物質世界はそのために存在している。

それがまた思い当たるふしがあるというのも皮肉な話でもある。

今起こっていることもそうだし、過去の出来事においても原因を結果は少し前に自分が抱いてしまった感情が引き寄せたものとすれば、すべて腑に落ちることばかりなのだ。

わかっているつもりでも、そのつど観念の騙しのトリックにはまってしまうのが悲しい。

現段階でこれだけ意図的創造について理解をすすめているように感じていても、人生経験というコントラストに満ちた世界は、広範囲な課題を休むことなく投げかけてくる。

それでもまた一からやり直すことは可能だし、いつでも今立っている場所から始められるとことは救いだ。

今この瞬間という未来への明るい入り口に入るだけだ。

すべての出来事に「良い感情」を抱くことほど最良のものはないとエイブラハム本では繰り返し強調している。

「いい気分」でいることがすべての幸福への道。

それには感情というナビゲーションシステムを活用して思考の転換をはかる必要がある。

究極のトロフィーを手に入れるための最もシンプルで簡単な方法だ。

ひたすら実践あるのみ!

手段と実践方法