私的空間

DVDのタイトルは『私』 自分への覚書

メメント・モリ⑧ラスト

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「人には3つの欲求がある。それは食欲、性欲、睡眠欲で三大欲求と言われている。」

中学生のとき、若い体育教師が授業でそう語ったのを聞いた時はショックだった。ちょっと憧れの気持ちを抱いていたからかもしれない。思春期の真っ只中に聞いたので嫌悪感を感じたということもある。

 

それはさておき、人の欲望や欲求なんてその3つに当てはまるほど単純明快なものでないと思うのだ。

 

「魂への回帰心」などはどうなのだろう。全ての人にある欲望だとは思えないけれど、私にはこれなくして生きていられないほど大切な欲望だ。

自分はどこから来てどこへ買えるのかと。自分はなぜここにいて生を享受しているのか。目的や計画は生まれる前に持っていたのかなど。

 

自分の場合、他のさまざまな欲求ももちろんこれまでの人生を突き動かしてきたのに違いないのだけれど、この感覚がなければ前を進むことはできなかった。

「内なる存在」、「心の父」、「源ソース」、「ハイヤーセルフ」、「ハイヤーマインド」などと同志は言う。幼少の頃から何かにいつも守られているような、誰かに支えてもらっているような、ハートの奥底で感じる、言葉などでは言い表せない暖かい存在があった。人生の至難にぶれそうになる度、正しい方向へと導いてきてくれた感謝すべき心の拠りどころだ。

 

この無条件に与えられた慈悲の愛は、いつもそばに寄り添ってくれていて、私を本来あるべきところへ導いてくれた。いつの日も一緒だったのにもかかわらず、すっかり生存することだけに、どっぷり浸ってしまい自らを見失ったことも数え切れない。

 

「ソースとはあなたの向かっていく方向性すべてだ」

ラムサが言っていたことの意味を、最近ようやくわかりかけてきた。

「人生はブッフェのようなもの、そんなコントラストに満ちた世界を楽しむためにこの世にうまれてきた」と「引き寄せの法則」では語られている。

 

メメント・モリ「死を想うことで生きる意味を知る」

ブッフェという人生にコントラストに夢中になりすぎることなく、自分の魂とつながることで平静を保つ。これがバランスよくできるようになったのは、ごく最近のこと。

 

そしてインド人道師のあの透視と預言についての考え方も、今ではずいぶん変わってきた。答えはシンプル、あれはただ仮想現実のフィールドにいただけと思うようになったのだ。これまでの人生経験もしかり。

 

確かにはるばるインドまで足を運び、一見とんでもない占い師に過去を透視されて、結婚相手の予言までされた。グルに伝授されたマントラのメモや数珠は、今も手元にあるので間違いはない。

古いアルバムを引っ張り出せば、一緒に撮った写真だってある。

 

これも一切合切、ラムサの言う「私の向かっていく方向性」の一部だったと考えている。将来どの道へ行くのか、結婚することがあるのかを知りたくて、当時はインドの地を踏みさえすれば答えが見つかるような気がしていた。憧憬してやまないインドの神秘も味わってみたかった。

 

つまりハイヤーセルフが、それに成り代わってくれたということなのだ。摩訶不思議なそれなりのグル(導師)となり、私の希望をあいまいな形で伝えてくれたのだ。自分にだって何にも見えていなかったのだ、どうしてはっきりとした未来図をグルが予言することができただろうかと、今は思う。

わたしのマインドにある薄っすらとした願いが、グルの透視によってこの世界の言葉に変換されただけなのだ。この世を去る年齢、結婚相手、仕事・・・。これもその時点で自分の心の中にあった一つの想念だったにすぎなかったように思える。

何故過去のことを全て言い当てられたのか。それは自分が実際に経験してきたことだからであって、知らないはずがないから。

 

未来のことはどうだろう。結婚相手は二人の候補があったのだが、そのどちらとも出逢ってもいない。「好きなように変えられる」と言われたし、実際そのとおりになった。

「未来のことが見えない、わからない」と思っていたから「わからない」状態が作られてずっと継続していた。

 

人生経験の順序は真逆で考えるといいのかもしれない。先に宣言とか予言をしてしまうことだ。たとえば「結婚できるかどうか」「結婚したい」ではなく、「結婚している」あるいは「結婚した」という風に想いを変えることだ。これは薄っぺらな引き寄せの法則本でもよく言われている。原理をよく理解していないかぎり、実現不可能なことなのだけれど。

 

だから予言された自分がこの世を去る年齢も、今ではどうでもよくなってきたのだ。その頃合いになれば死期を自然に悟るだろうし、もっと生きたいと望めばそうなれるような気がする。

 

もちろん死ぬのは全く怖くはない。長生きしたいと熱望する気持ちも強くないし、寿命というものが定められているのかなど、そもそも興味がなくなった。極端に言えば寿命は自分で決めるものということ。

 

今はただもう少し、抵抗せず流れに逆らわずソースに導かれるように生き(幸せのヴォルテックスに入ること)、その先にあるものを少しでも体験してから、今世を全うしたいと願っている。これほど大事なことは後にも先にも何もない。「今この瞬間」にしか自分の存在はないのだ。

ラムサのラストに書かれていたシーンを自分も味わってみたいと思う。「ある日カーテンを開けるとあなたは・・・」

 

その境地を自分を包む器であるこの体、全身全霊で味わうために。

この世に生まれてきた目的をはっきり知ることができたときが、自分の仕事をやり終えたと悟る時だと思っている。

 

私のメメント・モリはこのあたりで終止符をうつことにする。もう宿題はやり終えた。ここまでこれた喜びを感じる。辿った寄り道は結構長かった。

 

プラトンはこんな感じのことを言っている。

「人は洞窟の中にいて、壁に写った影絵の幻想(人生)を見せられているだけだ。」

 その意味はバシャールの鏡の法則と下に相通じる。

mementmori.soboku.jp