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私的空間

DVDのタイトルは『私』 自分への覚書

メメント・モリ⑧残された時間

 

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残された時間は30年を切りました。

 

いえ、まだ30年近くもある。

10年くらい、時というのはあっという間に過ぎるものです。

 

予言されたある年齢から逆算しての話です。

 

結婚相手の予言が当たらなかったように、この世を去る年齢も当たらないのかもしれない・・・。

 

「お前は選ぶことができる」とヨギは言いました。

「その相手を望まないのなら、違う男を選んでもいいのだ」と・・・。

 

けれども死ぬ年齢まで自分の意思で変えられるのか、とも思うのです。

あらかじめ決めてから、この世に生まれることを決心したかもしれないのですから。

びっくりしたのが、「その年齢」とは私自身が十分だと常々思っていた年齢だったということです。

 

なんとなく知っていた?感じていた?

 

それとも色々言い当てられたのと同じように、ヨギが読心術を使って私の心の思いを感じ取ったのか?

 

 

いくら考えてもヨギの予言については謎のままです。

 

自分のメメント・モリは、この世を去ると予言された年齢、つまり終点を意識したものであって、今後の計画もそれを基準に考えるようになったのです。

 

この先10年はブログを通じて、これまでの経験で得たことを書くことでアウトプットしていきたいと考えています。

 

目的などなく、ただそうしたいからという理由があるだけ。

例えていうなら宇宙の片隅の塵のような存在の自分が、一瞬でもこの世に存在していたということを残したい、そんな感じです。

 

人生というのは自分の脳内で自作自演のDVDを観ているだけなのに、それでも生きた証が欲しいようです。

 

その先の10年はおぼろげながら海外で勉強や旅したり、外国の地にリタイヤしたい、などと考えていますが家族もある身なので予測は不可能です。成り行きに身を任せるだけ、なぜならただ成り行くものなのですから。

 

その日のために、特に目的もなく英語の勉強を続けています。今は理由はわからないけれど、その意味がわかる日が来ると心の声が告げるのです。

 

予言で出会うことになっていたM氏とJ氏とめぐり逢う日が気たときのため?あれはヨギのでまかせか何かの間違い?

 

 

仮にM氏かJ氏と一緒になっていたら、人生も変わっていたはずです。逢わなかったものの、何かしら縁のあったはずの二人は今どこで何をしているのでしょうか。

 

運命というのは本当に摩訶不思議です。

いや、運命なんか存在せず、自由意志があるだけなのかもしれません。 

 

自分の人生は究極のところ、すべて自分がしたいように考え選んだ結果なのだそうです。すべては感情を知るための旅にすぎないと。 

 

 

たとえば振り返って考えると、私はこれまで、本当の意味で積極的に心から男性を愛したことがないように思います。

 

こんなこと言うとひんしゅくを買うだけかもしれませんが、本人の意図に反して、中学生時代から言い寄ってくる人が少なくなかったのです。

今でいうならストーカーまがいで、家までついてこられたりしました。

ラブレターに嫌悪感を感じて、学校のトイレに流したこともあります。

ジーっと見つめる誰かの視線を感じる不快感。うっとおしくて仕方ありませんでした。

 

人というのは嫌がられるほど余計に追うところがあるようです。

今なら対処法がわかりますが、そのときは知らなかったのでただ迷惑なだけでした。

 

男子からの追っかけのせいでで女子に冷たい視線を浴びることも経験しました。親友の好きな人がこちらを向いたせいで友情を失ったこともあります。

 

そんな意味でものすごく抵抗感が強くて、男性がうっとおしかったのは事実です。正直言って男性は邪魔で嫌な存在でした。

 

「目立つことや見られることが嫌い」というと

客室乗務員の同僚に「よくそんなんでこの仕事してるわ、私なんか男の視線を感じるのは快感」といった人はすごいと感じたほどです。

 

 

だから年をとった今は安心しきっているところがあります。もうそんな心配はいらないと・・・。安全地帯に収まったような感覚でラクです。

 

 

そんな青春時代を過ごしたので男性とのお付き合いは、いつも受け身。自分から相手を好きになったことがないのです。なんとなくお付き合いしているうちにだんだん・・・、そんなパターンばかりでした。

 

 

友達つきあいは普通でそれなりにありますが、男女を問わず人と近づき過ぎるのが苦手なのです。だから群れることが大嫌いで、誰かといつも一緒に行動することも嫌。

 

理由はわからないのですが、自分の中にどんどん踏み入ってこられることが耐えられないのです。あまり接近されすぎると、恋人であっても逃げたくなります。

 

 

 

人に合わせることはできるけれど決して迎合しない、そんな人との距離感をこれまで保ってきました。

 

だから客室乗務員ライフはものすごく性に合っていました。孤独と友達にならざるをえない仕事だったように思います。

 

旅先でのホテルステイも一人、住まいもほぼ一人、日本人客室乗務員として現地クルーのチームに一回きりでメンバーとなるだけの仕事もバッチリ自分の性格に合っていました。

 

後腐れなく一つの仕事であるフライトを終える、一本勝負の全力投球の仕事でした。

 

海外旅行も一人旅を貫きました。

沈黙と向き合うことで本当の自分と語り合える気がしていたのです。

 

厄介なのが、そんな自分でも時折寂しくなって誰かに依存してしまったことです。

 

人というのは、寄り添ってくれる誰かが必要なようです。

ベタベタした関係は苦手、適度な距離感をキープしてくれる人、それがつきあう相手への望みだったように思います。

 

 

結婚相手にいたっては、自由恋愛と別個のものとして考えていました。兄弟や友人になれるようであり、誠実で空気のような存在の人を望んでいて、そしてその通りになりました。

 

男らしくて家庭的で善良な人と連れ合い、二人の子供にも恵まれました。これはヨギの予言どおりです。そして今は奇跡のような仕事もしています。

 

甘えることができないのは長女に生まれたからかもしれませんが、本当の意味で精神的に未熟でした。

ほんのつい最近なのです、そのことに気づいたのは。

 

恋人を心から愛して、ただ与える・・・。

そんなことの大切さをよく知らなかったのです。

与えられるより、与える方がずっとずっと大事なのに、若い時代の人生を損をしたような気分です。

 

だから今世で経験できなかった、自分の方が誰かを強く愛するという経験を、来世があるとしたら新しい人生の課題になりそうです。

 

それともこれから経験することがあるのでしょうか。年齢を重ねた今は考えにくいことですが自分で自分を制限することはしたくありません。

 

ヨギにまた会いに行く?あり得ない・・・。また来いと言われたけれど。

 

それとも残された30年弱は宿題を解くのに与えらた時間なのか・・・。

 

もっともっと拡大・成長するのに十分な時間ともいえます。

ワンネスへの飛躍をしたいとは思っています。自分の中に宇宙を見るステージへの到達が、果たして今世で可能なのでしょうか。

 

 私のメメント・モリは終点を意識して、一瞬一瞬の「今このとき」を最大限楽しむということにつきると思っています。