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私的空間

DVDのタイトルは『私』 自分への覚書

【メメントモリ③】スピリチュアル好きインド女一人旅・回想・スピリチュアルなんてみんな興味ない

 

 

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 スピリチュアルなんてみんな興味ない

 

 

友人が多い方ではありませんが、私は人付き合いはこれまで、それぞれのシーンでそれなりにしてきたと思っています。子供時代、学生のころ、バイト先、社会人として、子育て中は子供を通じてママ友たち、最近ではブログを通じてなどなど・・・。

 

 

 

でもよくよく考えてみると、これまで知己になった人の中でスピリチュアルの話をした人はたった一人です。

 

 

その系の本はたくさんでているし、アマゾンの書評などからみてもスピリチュアル好きな人はいると思うのですが、どこか胡散臭いとか、宗教と結びついているイメージもあるせいか眉をひそめる人もいるかもしれません。

 

それに非科学的なことは一切信じないという人は多いものです。

 

 

これまでのシチュエーションごとに、人と親しくなって話す機会があったのに、共通の話題で盛り上がったり本を貸し借りしたのことのある人は、なぜたった一人だけなのか。

 

 

答えは皆「興味がなさそう。」

それだけのことです・・・。

 

 

テニスサークルやボーイフレンド、会社や上司、自分の家族、婚活、再就職、化粧品に服や靴、今日のランチに何食べるか、連休の旅行の計画。

 

結婚したら子供、夫・姑の愚痴、どこに住むか、食生活、教育や家計の節約、子供をどの塾に入れどの私立に行かせるか、町内会にPTAに習い事。

 

今夜見たい韓国ドラマ、アンチエイジング、ペット、親の介護、老後のこと、芸能ニュースにネットショッピング・・・。

 

 

女が二人以上寄ればだいたいそんな感じの話が多いのですが、皆、底抜けに明るくて屈託がなく、あっけらかんとしています。

 

 

もちろん、それぞれ悩みや人には言えない思いを抱えているのかもしれませんが、そんなことおくびにも出さないで明るく一生懸命に毎日を生きているいい人たちです。

 

 

聞いてみたことはないものの、なんとなくでも雰囲気からもわかるもの、そんな中「スピリチュアルがね、」と切り出すほど空気の読めない人間ではありません・・・。

 

 

他に話したことがあるとすれば、今のパートナーです。

何でも否定せずに話を聞いていくれる人ですが、彼もまたこの分野には関心がなく、多分これまでに私が熱く語ったことは、ほとんど右から左へと消えているでしょう・・・。

今はめったにその話はしなくなりました。

 

 

ほとんどの人がスピリチュアリティについてなど深く考えないような気がします。

 

というよりも、自分の本質についてなど興味がないのでしょうね。

目に見える楽しみだけを追い求めているのかもしれません。

 

 

 

何を食べて、何を着るか、どこに住んで、どんな仕事をするか。

誰とつきあって結婚するか、どんな人生を送るか。

 

 

お金をいかに節約するか、断捨離に、ブログのアクセスをどう増やすべきか、フェイスブックにツイッター、インスタグラムなど・・・。

 

 

皆、本当に忙しそうです。

 

スピリチュアリティからいわせれば

「現代人は目の前にある、ほんのわずかな楽しみのために、心を閉ざしてしまっている、もっと大切なものを知ろうともしないで。」

 

 

私自身の考えとしては、こんな「大切なこと」を知らずに、この複雑で競争心に満ちた、世知辛い人生を生き抜く自信がありません。

 

 

そういう意味で、「みんなすごい」と感心するし、よくやってると思います。

 

 

(もしこれを読んでくれている方がいるとすれば、多少はスピリチュアルなことに関心がおありなのでしょうか・・・。)

 

 

 

スピリチュアル好きの延長で、インドへの女一人旅したことに関しては、今でこそヨガがブームになっていたり、きれいな女優さんがインドにアーユルヴェーダを体験しに行ったりと、ヨガや瞑想、インドについて認知度が高まっていますが、以前はあの宗教のせいもありインドへ行くこと自体、イメージは良くありませんでした。

 

 

有給休暇でインドへ旅行というだけで「◯◯の信者では?」などと会社関係の人にからかわれたし、両親の心配は相当なものがあったのは事実です。

 

 

 

願えば望みが叶うって本当?

 

 

 

本当の自分は誰なのか、人は何のために生まれてくるのか。

自分の中にある「知っている感じ」は一体どこから来る?

「いいこと思いついた!」等のインスピレーションはなぜやってくる? 

 

 

中学をでたくらいからスピリチュアルに関心を持ち始めた変わり者です。

 

 

 

潜在意識と顕在意識。

 

今はどのスピリチュアル本でもよく言われていること。

「願えば叶う」

「望めば願いが聞き入れられる」

 

学校、受験、就職、結婚、家族、人間関係、健康、仕事、経済面、エトセトラ・・・。

 

 

願えば不思議なくらいに叶ったり、願望が噓のように実現したこともありました。 

 

その一方で、願っても全然叶わない時も多かった・・・。

それって運命のせい?

 

スピリチュアルサーフィンが終わった今でも同じです。

 

願いが叶うこともあるしそうでない時もどちらもある。 

 

それに願いや望みが「叶う時」と「叶わない時」

この違いは一体、何?

という風にさらに知りたくなっていくのです。

 

 

もちろん今も達観しているわけではないけれど、物事に対しての見方や考え方、受け取り方が以前とはまったく違ってポジティブになったそんな感じです。

 

一瞬一瞬生かされていることに感謝するし、生きることに前向きになるって、落ち込むことがなくなりました。

 

 

けれど、今という現実に囚われすぎて、自分のアイデンティティを見失う時期も多かったことは事実です。

 

スピリチュアルなんて全然意味をなさないと背を向けたことも数えきれません。

 

 

多くは精神的にしんどい時です。

そんな時は起こっていること以外は何も見えなくなったりするものです。

不本意な状況から自分を救ってくれる存在なんてどこにいると、恨みがましく感じた時もありました。

 

 

もちろん、ここまで来るのにいろいろ波乱万丈もありましたが、振り返ってみると、今となっては「すべての出来事には意味があったのだ」という風に理解しています。

 

 

そんな一見、大変な経験を「するため」に、スピリチュアリティから離れるべく、わざと忘れさせられたようにも思います。

 

誰でも辛い人生状況はできるなら避けたいと思いますよね、でもあえて経験するからこそ、その時の感情が理解できるものなのです。

 

 

 

それに、もし願いが不思議なくらいに叶ったことが一度もなかったのなら、答えを追い続けることなどなかったように思います。

むしろ、大きな望みが叶ったことがあるからこそ、ずっとこだわっていたのだと思います。

 

 

全般的に自分の願いは大筋で叶っていたのです。いい意味でも逆の意味でも・・・。そのあたりはこの日記で今後深く掘り下げていくつもりです。

 

 

本屋でを狩りをする人

 

 

まだ独身だった頃の話になりますが、都心の大型書店で本のジャンルに「精神世界」と書かれたコーナーで「獲物」を物色している人たちがいました。

 

「集会に来ませんか。」

 

あの手この手で巧みに近づいてきて、こんな場所で勧誘をしていた人たちがいたのです。

 

迷惑な話なのですが、このコーナーで立ち読みしているような人は、精神的に弱くて迷って何かに救いを求めている人、と受け取られるのだなあと思ったものです。

 

 

人を洗脳するような変質した思考の持ち主の集団も実際にこの世に存在するので、知らず知らずのうちに獲物になってしまう人もいるかもしれません。

 

何度もそんな声掛けをされたので、高確率で迷える子羊たちをゲットすることができるスポットだったのでしょう。

 

 

その書店に行くことがほとんどなくなったので様子はわかりませんが、だいたい「精神世界」などというちょっと不気味なネーミングではない方がいいと思うのですが、今でも同じなのでしょうか・・・。

 

 

私は全く違いましたが、もし何か心のよりどころを探しているような時に、巧い言葉に引っかかって正体不明の集まりに入ってしまう人がいるとします。

 

 

勧誘する人、される人。

どちらもスピリチュアル的には悪くなく、ある意味では正しいのです。

良い悪いの基準での判断ではありません。

 

なぜなら自分が真実だと思うことをしているだけだから。

 

 

「救い」を求めるとしたら、答えは自分の内側以外にあることなどないのですが・・・。

 

また本人が「知りたい」と望んだとき以外はスピリチュアリティへの扉というものは絶対に開かないものだし、誰かに考えを押しつけたり、すすめたりするものでないと思います。

 

 

【メメントモリ④】へと続きます。

 

mementmori-soboku.hatenadiary.jp