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私的空間

DVDのタイトルは『私』 自分への覚書

メメントモリ⑩数十年越しの宿題

 

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なぜ生きる

 

 

このブログは自分自身を振り返るために綴っているものです。

同じような目的をもつ人にシェアするためだけに公開をしています。

メメントモリ①から続いています。更新はバラバラ&不定期。

 

話は⑨に戻ります。

私にそのヨギを紹介してくれたインド人も、多分よくわかってなかったと思います。

 

その人が「当たるも八卦当たらぬも八卦」のレベルの占い師などではなく、超人的なある種のテクニックを持つヨギだったということを。

 

 

インドでは星廻りで人生をみる占星術が一般的で、「星占いをみてくれるヨギがいる」とその人物を紹介してくれたのでした。

 

 

 

でも記憶がそこかしこで飛んでいて、現地のどのインド人が、どういういきさつで、私とそのヨギと会わせたのかは思い出せないでいます。

 

 

ただ、小さな部屋の一室でヨガのポーズで二人が向き合うように座ったあのシーンのことは今でも鮮明に目に焼き付いて離れません。

 

ターバンをかぶった、眼光鋭い50代くらいの青い服を着たインド人でした。

かなり早口で一方的に話されました。

 

 

「私は○○寺院で何十年も修行を積んでいるものだ。」 

 

「おまえが私を訪ねてくることはわかっていた。」

 

「前世を知りたいか。」

これだけは「結構です」と遠慮する余地を与えてくれたからよかったとしみじみ思います。

 

 

「おまえは今の仕事はどんなで、何をしているか、家族のそれぞれの名前、過去に関わったことのある人物、友達、どんなことが好きで、どんな瞑想をしていて、今何を悩んでいるのか、私にはすべてわかる。」

 

「それは△△だ。」「そいつの名前は◇◇だ。」「性格や癖は△△だ。」

 

 

「ペラペラペラペラ~」

 

 

「なぜそこまで知ってるの?」

 

 

(絶句)

 

 

何も知るはずのない人から、自分のことをいろいろ言い当てられたのです。

 

 

夢をみているのかもしれないとそのとき思いましたが、本当に現実でした。

 

 

英語を話すそのヨギでしたが、インド人には到底馴染みがないであろうはずの、日本人の名前や友達の中国人の難しい発音の名前まで、ローマ字表記で紙に書き示したのです。

そのときの驚きようと言ったら・・・。

 

この段階で、目の前にいる人がただの占い師などではないと確信しはじめた自分がいました。

 

 

予言者や霊能力者のような存在なのだと気づきはじめたのです。

 

 

現在・過去・未来。

もちろん、未来のことはあくまでも予言でした。

そして自分がこの世を去る歳まで、聞いてもいないのに私に告げたのです。

最期の様子まで。

ちなみに私の最期は、苦しみなどない安らかに息を引き取り、近しい人たちに見送られるとのことでした。

 

それが本当なら大往生でなくても、自分の中にはない「病」というものに無縁な最後なのだろうと思います。

 

ちなみに、病気は自分の心が作るものだということを知っていますか?

なりたくなければ意識しないこと、ただそれにつきます。

 

 

過去にあった出来事は要所要所、言い当てられました。

こちらから聞いていたとしたら、私の子供時代から教えてくれたと思いますが、そんなことしてたら時間がいくらあっても足りるわけありません。

 

見ず知らずの人に、自分というものを瞬時に見透かされて、この世に誕生した日、親の名前など出生から生い立ち、 人となり、これまでの人生での出来事を、スラスラと言い当てられた時の気分を想像できますか。

 

 肝心なのはこれから先に起こる未来の出来事でした。

当時独身だった私の当面の関心事は、この先結婚して家庭をもつのかどうかということ。

 

ヨギに予言された、その後の私の身におきることは、ただその質問に集中していたように思います。

 

 

「二人の男性が現れる。一人は日本人の東京在住のタナカ・コウジ(仮名)だ、もう一人は外国人のJhon(仮名)という男だ。」

 

「お前はどちらを望むか。」

 

「どちらを?私が選ぶことができるのですか?」

 

「そうだ、お前の人生だ。好きな方を選べる。」

 

「国際結婚は考えたことがないし、日本に住み続けたいのです。」

 

「わかった、それならタナカと来年の○月○日、出会うことになる。」

 

自分は果たして結婚できるのかと漠然を将来に不安を抱きつつ、心の底では、愛する誰かと家庭を持つことにあこがれを抱いていたせいか、結婚する運命だと聞かされたこの時点で、すっかり有頂天になっていました。

 

胸のつかえがすっとおりたような気がしました。

結局のところ、運命の葉っぱに記された自分の未来が云々と言いながら、結婚するのかしないのかを知りたいがために、インドまで来たのかもしれないと思い始めたのです。

 

自分のこれからの運命を、超越した誰かに決めてもらうことの手軽さと安心感にすっかりご満悦でした。

 

そのあと結婚して東京に住み移って家庭を持ち、子供は二人の平凡ながら幸せな人生を歩む。

鞄のような工房(会社)でアメリカと取引するビジネスをする。

 

二人の悪影響をもたらす女性と出会う、母親が病気にかかる。

 

そこから不穏な方向へとこのセッションが向かうことになったのです。公言してはならないといわれながら、約束を破ってしまったのは後から考えて、その部分だけは腑に落ちないというか、納得できなかったからです。

 

 

最後の予言に関して厄払いをする代償に多額の寺院への寄付を求められたのです。かけがえのない母親のことを持ち出された以上、抵抗のしようがありませんでした。

 

 

超越した能力を持つヨギの極めて人間的な部分であり、修行僧をたくさん抱えて寺院を維持して生活するための費用がいるとのことでした。求められるまま応じたものの、この件に関しては引きずったままです。

 

「これで二人の女性も避けられるようにした、母親も病気知らずだ。」と念を送り、私にもマントラを与えて瞑想で唱えるように言われました。そして、ヨギが身に着けていたプラスチックの首飾りをもらってその場を終えたのです。

 

その時は、予言のいい部分に気をとられて、その時はそれほど深く考えなかったのですが、帰国してその後、銀行口座の引き落とし額を見るにつけ、あれは一体なんだったのかと考えるようになりました。

 

解脱を目的に修行を積むヨギなんかではなく、だたの読心術のテクニックを持つ人の、いかにもよく考えられた詐欺まがいの占いだったのか。

占いなんかではない、実際に過去のことは気持ち悪いくらい見透かされて言い当てられたではないか。

 

あの場の神秘的なオーラというか雰囲気は独特で、たしかに二度とあのような状況を味わうことはないと思えるほどの不思議な空間にいた。

 

でも神聖な人物なら金品を要求するようなことがあるわけない。

いやヨギも生きた人間なので生活していくためにはお金がいる、などの様々な嫌疑と葛藤にさいなまれたのは事実です。

 

 

 

人間関係、健康、お金。

この三つは人生において重要なカギをにぎり、コントロールがとても難しい要件だとかねがね考えています。

 

 

私はインドでのこのヨギとの出会いによって、自分自身にさらなる宿題を与えられたのです。気安く運命を知りたいなどと考えた代償です。

 

このドロドロとした下世話で生々しい現実という名の、自分の人生を翻弄しているものは一体どんな存在なのか。運命など本当にあるのか。

 

生きるとはただの幻影にすぎない。

この世の事象を表すことばがあるとすればそれは・・・。

「在る」のみ。

 

ずっとよくわからないままです。

近づこうとはしていますが、わかるはずはありません。

わかっているのは自分に「知りたい」という意思があること、ただそれだけです。

 

 

その後ヨギの予言したことはどうなったのか。

 

このあたりをきちんと整理して、数十年来の宿題を解こうと模索したこと、そして現時点でなんとか理解しえたことを書き残そうとしました。

 

それが自分のこの世を去る年齢を告げられて、そこから遡って自分というものの存在と意義を考えるための、メメントモリを書こうと思ったきっかけだったのです。