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私的空間

DVDのタイトルは『私』 自分への覚書

【メメントモリ①】スピリチュアル好きインド女一人旅・回想・運命の葉っぱ

 

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『メメント・モリ』とは「死を想え」という意味で、ヨーロッパ中世末期にさかんに使われたラテン語の宗教用語

 

 

 

●はじめに

 

ある日、突然・・・。

歳を重ねるごとに、増えていく日々の出来事はもちろん、

これまでの人生で味わった強烈な体験さえも、だんだん記憶が薄れて

忘れて去ってしまう気がするので、ブログを自分の日記として、

特定の内容を覚えているうちに残したいと思いつきました。

 

ブログ=ウェブログは本来、個人の日記。

 

記憶の引き出しにはあるけれど、普段は忘れ去っている思い出や体験がたくさんあります。

時々なにかの拍子で記憶の波が押し寄せてきます。

 

 

書くことで自分の思いを再確認したり、何かを見つめなおすことだってあるはず。

 

忘れていることをあえて引っ張りだしてその時に刻みこまれた感情と再会することはとても新鮮な感じです。

 

これはある程度年齢を経た者だけの楽しみ方かもしれません。

 

あの時何を思い、なぜそんな行動をとったのか。

 

検索にあまりひっかからない程度に、また内容の一部に興味を持った人がいれば共有したい、そんな曖昧な線引とスタンスのブログです。

 

 

●海外旅行はひとりで

 

 

今ではすっかり出不精になっていますが、若いころは思い立ったらすぐ行動に移すタイプで、海外旅行なども好奇心旺盛に、直感の赴くままよく一人旅をしました。

 

 

「地球の歩き方」派のようなバックパッカーではなく、ちょっとしたこだわりを持っていて、スーツケースなしなのだけれどヨーロッパでは革靴を履くなど、こましな格好での長旅でした。

 

美術館に行くのに小汚いスタイルは嫌だったからです。服は現地調達、帰りに処分。

 

 

女の一人旅?自分のペースで自由に動き回れるからです。若い時代にしかできない体当たり的な経験です。

 

アフリカ以外いろいろな地へ気丈に旅したものですが、中でも一番強烈な思い出があり、二度と行きたくないのはインドです。

 

 

インドを目指したのはそれなりの理由があります。

 

昔からスピリチュアルなことに興味があり、人はなぜ生まれて死にゆくのか、

運命というものはあるのか、魂は転生を繰り返すのか、などずっといろんな本を読み続けて答えを自分なりに模索するようなところがありました。

 

 

●スピリチュアル好きが高じてインド

 

 

鏡を見てふと思ったことはありませんか?

自分をみつめる瞳の奥から覗いているものは何なのかと。

何が自分を内から突き動かすのか。

 

身体以外に目に見えない「何か」が存在するとなんとなく感じていたし、

幼いころは自分を可愛がってくれていた祖父がいつも天国で見守ってくれていると信じていました。

 

成長すると、祖父でもない「何か絶対的で目に見えない」の存在があるのではないかと、思うようになっていました。

 

 

人はいずれ死ぬのになぜ生まれてくるのか、などと考えると怖くなって涙を流す多感な時期もありました。

 

 自分はどこから何の目的で生まれて来てこれからどこへ行くのか。

 

今は違います。やっと自分なりに答えを見つけたからです。

スピリチュアルサーフィンはおしまいで、死ぬことを恐れることもなくなりました。

 

ある一冊との出会いがあったからです。そのことについてもいつかこの日記で書きたいと思っています。

 

へんな話ですが、私は自分がこの世を去る年齢を知っています。

世の中広しといえど、自分が死ぬ歳を予言された人は私くらいなものではないかと思います。

 

余命宣告のようなあと数年とかではなく、まだまだ先の話なので、おかげでいろいろな計画が立てられるというもの?

 

保険や年金、終活はその歳を目安に考えています。無駄な生命保険は解約しました。

 

もちろん明日どうなるかの保証はないのですが、その歳になるまでは死なないだろうと安心して高をくくっているところもあります・・・。

 

いったい何の話?とアタマがおかしくなったのでは?などと思われそうですがそれはインドでの強烈な体験談に基づくものなのです。

 

 

霊性の国インドでは、ありえない人・出来事・環境に遭遇します。

 

藤原新也の「メメント・モリ」や、椎名誠の「インドでわしも考えた」、河童妹尾の「河童が覗いたインド」で描かれていますが、私の見たインドもまさしくあんな感じでした。

 

 

カルチャーショックというレベルの品のいいものではなく、すべてがまやかしなのではと疑うくらい、インドにおりっ立った時点で脳のアンテナチューンが狂わされて、思考能力がふ~っと奪われそうになったことを覚えています。

 

「秩序なき混沌」にさらされっぱなしになるインドでは、人口が多いせいかどこへ行ってもお金目当てか下心があるからか、いろいろな人が吸い寄せれらるように自分のもとへやっては消えて行きました。

 

ある程度覚悟はしていましたが、椎名誠さんが書いたように

「インドには衛生観念というものがない、新築が一年足らずでどす黒く不衛生な建物になる」

という通りで汚いし、臭いし、異常な暑さと物乞いと、なんとかしてだまそうとしてくる人たちの洗礼を受けて初日に帰りたくなったほどです・・・。

 

ですが何かわからないのだけれど、これまで味わったことのないエネルギーのようなものも感じて、一週間の予定で動くつもりで来たこともあり、気を取りなおして旅を続けることにしました。

 

まだ独身の頃、スピリチュアル関連で人の運命が「葉っぱ」に書いてあるという内容の本が話題になりました。

 

今から思えばあれは一体なんだったのか、と思うようなマユツバな話なのですが、サイババの存在を日本に紹介した人物が、インドの由緒ある家系ですべての人の運命を書き記した「葉っぱ」を保管してあるというものでした。

 

そんな神秘に魅せられてインドに行けば非日常を体験でき、自分探しと目に見えない「霊性」に触れる糸口があるかもしれないという単純な理由が私を誘ったのです。

 

インターネットなどない時代です。

どこへ行ったときもそうでしたが、往復の航空券だけ確保する以外は、出たとこ勝負で成り行き任せのノープランの旅。

 

自分が自由でいられる手段であったし、ハプニング続出ながら楽しい旅行でした。

だまされたこと位ならあるけれど、海外旅行の女一人旅で怖い目にあったことは一度もありません。

なぜなら見えない「何か」にいつも守らているからと信じていたから。

 

インドへの旅は、まだ独身で今後ふさわしい結婚相手があらわれることなどあるのか、などと葛藤していた時期です。